★ シリーズ 高岡中の歴史 17-4
- 公開日
- 2025/08/04
- 更新日
- 2025/08/04
高岡中の歴史
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その17】-4
*高岡中学校開校13年目
昭和34年度(1959年〜1960年)
校長:近藤 松市 校長(第2代)
生徒数:1,086人(男子:550人 女子:536人)
教員数:31人
▶ 学校のうごき
・4月 遠足(1年:岡崎、2年:玉野川公園)
修学旅行(3年:関東方面)
・5月 町教員総会
・7月 郡大会 野球部・優勝
・8月 郡大会 女子バスケット部・優勝
西三大会 柔道・優勝
・9月 伊勢湾台風による校舎被害甚大
・10月 父兄交換復旧工事・授業強行実施
・12月 文部・大蔵省より台風被害調査、浦野代議士来校
・1月 郡マラソン大会 3年優勝
・2月 第7回東海3県学校図書館コンクール 優秀賞
・3月 東京自衛隊宿泊訓練
▶ 地域のうつりかわり
・4月 2代目町長に都築鉄重氏就任
・5月 市青婦会館竣工、拳母市が「豊田市」と市名変更
・7月 本町にアサノコンクリート進出
・8月 トヨタ自動車元町工場完成
・9月 伊勢湾台風来襲・高岡地区死者6名
・12月 名古屋城天守閣再建
・2月 豊田市長選挙 長坂貞一氏当選
名古屋南部臨海工業地帯造成工事着工
・3月 高岡町昭和35年度歳入予算総額 72,550,349円
▶ 日本のできごと
・4月 皇太子殿下結婚式
・5月 IOC総会で東京オリンピック決定
・7月 児島明子さん ミスユニバースに選出
・9月 伊勢湾台風襲来 死者5,041人
・10月 社会党分裂、民社党誕生
・11月 水俣病問題で対立、緑のおばさん誕生
・1月 安保闘争激化
・2月 皇太子妃 浩宮徳仁親王ご出産
▶ 世界のできごと
・5月 米・英・仏・ソ4国外相会議
・8月 ハワイ アメリカの50番目の州に
・9月 米・ソ頭首会談
月の裏側の写真発表(ソ連)
・11月 社会民主党
バートゴーテスベルグ綱領採択(西ドイツ)
国連総会で完全軍縮82か国決議案可決
・1月 米・英・ソ3国核実験停止会議
新アスワンダム起工
多段式弾道ロケット実験成功(ソ連)
・2月 原爆実験(フランス)
▶▶ 時代の概観 ▶▶
4月10日の皇太子さまと美智子さまのご結婚式を中心にテレビの売り上げが急上昇し、前年暮れの全国家庭の所有数60万台が、あっという間に300万台を超えました。景気もナベ底から抜け出し、岩戸景気と呼ばれる好景気を見せました。しかし、9月26日、紀伊半島に上陸した台風は、東海地方に大きな被害を与えました。「伊勢湾台風」と名付けられたこの台風による被害は、死者5,041人、被害家屋57万戸と明治以降最大の被害となりました。若者の間にカミナリ族が横行したのもこの年です。
この年に関わる方が残した記録を紹介します。
「PTAの思い出」 *第4代PTA会長
中学校創立30周年記念に思い出を書かせていただく光栄に浴し喜んでいます。
私は昭和34年5月、前会長より申し受け会長に就任いたしました。
当時は、高岡町議会の文教厚生委員長が中学校PTA会長になる習わしでありましたので、身をも顧みず会長になりました。
教育高岡、伝統ある高岡中学校は、校長先生以下団結強固にして、体育に勉強に、名のとおり立派な学校でありました。
平凡なうちに夏が過ぎ、いよいよ体育・勉強という時期に、あの伊勢湾台風が襲い、かつて経験したこともない強風で、一夜にして屋根瓦・窓ガラスは飛び、悲惨な校舎となり、先生も生徒も私たちも茫然とし、いかにすべきか途方にくれました。
勇気を出し、町の職員を各地に派遣し、材料を集める。資材は手に入るも、修理をしてくれる職人はなし。父兄・先生・生徒が一体となり、毎日々々復旧作業に従事する。素人であるから復旧作業が進まず、約一か月もかかってしまった。一番心配であった事故も皆さんの熱烈なるご努力により無事故に終わり、共にやれやれであった。今思い出しても、よく永い間の作業にご協力が得られたものであると、一番の思い出であります。
その次は、なんといっても一番前の鉄筋二階建て校舎の建築であります。今は鉄筋校舎が普通でありますが、あの当時は農村地域では早い方でありました。毎日々々築かれてゆく姿を先生・生徒と見ながら、一日も早い完成を願っていました。完成した時の立派な姿は、何とも言えない気持ちでありました。この校舎で勉強のできる幸いを喜んでいました。四か年間のPTA会長は、実によい勉強であり、思い出であります。
高岡中学校の益々のご発展をお祈りいたし、筆をとじさせていただきます。
「高中生活」 *第13回卒業生
“ゆく川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず”
これは鴨長明の方丈記の書き出しの言葉だと思います。私は母校を想う時、いつもこの言葉を思い出します。学校の存在は不動ですが、その中を通り過ぎる人は常に変化し、流れていると見てよいのではないでしょうか。高中創立30周年を聞き、この感をいっそう強くいたしました。
私が高中に学んだのは、昭和32年4月から35年3月の3年間で、町立の高岡中学校でしたが、碧海郡内では有名な進学校として知られていました。ちょうど受験戦争、試験地獄のはしりが見えだした時期だったと思います。
幸か不幸か、私の高中時代の想い出は、この “戦争” や “地獄” に関するものはまったくありませんでした。私の想い出のほとんどは高中入学と同時に入部した野球部の生活がしめています。一番人気のある野球部へは約30名くらいの新入生が入ったと思います。毎日々々が球拾いで、校舎西の田(今はゴルフ場)へボールが飛び込むと、1年生が10人くらい列をなしてボール捜しにはいまわったものです。練習後はグランド整備のザラ板押し、道具片付けを終わると、もう真っ暗です。3年生まで残った部員は14名でした。2年生の冬は、毎日駒場でランニングをし、その後うさぎ跳び、ベースランニング、ケンカボールと休む間もなく、太田先生にしぼられました。おかげで、この年のマラソン大会には、上位10人までに野球部で6名をしめました。この練習により、夏の郡大会には念願の優勝を果たし、全員で大いに喜び合いました。我々14名は、今でも時々集まっては飲んで騒ぐよい友達として続いています。
暗い想い出としては、昭和34年9月26日に東海地方を襲った伊勢湾台風です。電気はつかず、電車は走らず、水道は止まり、1週間ほどの原始生活を経験しました。高中も屋根瓦は飛び、植木は倒れる等、大きな被害を受けました。ましてや、家屋の倒壊により、2年生の女生徒の犠牲者を出して、たいへん悲しい思いをしました。
人それぞれの想い出を秘めた高中生活だと思いますが、私にとって今までの、いや今後の人生の心の糧となるものを数多く得られた有意義な3年間でした。
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…伊勢湾台風の被害(散乱する瓦)
・中…伊勢湾台風の被害(被害状況と復旧作業)
・下…伊勢湾台風の被害(天井が落ちた教室)