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★ シリーズ 高岡中学校の歴史 3-2

公開日
2025/04/28
更新日
2025/04/28

高岡中の歴史

 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その3】-2
  *第二尋常高等小学校時代の教育(若園小学校の前身)
   明治41年〜大正3年(1908年〜1914年)

▶ 時代背景 *高岡町誌より
 明治41(1908)年、単独高等小学校を廃し、第1・第2に分け併設したが、大正4(1915)年9月、再び堤字長根に単独高等小学校として改めて発足した。なお、明治40(1907)年、小学校令の改正により、尋常科の修業年限を6年とし、義務年限の2か年延長がなされ、高等科の修業年限は2か年短縮された。

 かつて本校に教員として務めていた方が残した記録を紹介します。

「当時の思い出」  
 私の時代には、高岡中学校なるものは未だ存在せず、昭和22年、学制改革によって新制中学校が生まれたのである。当時の高等小学校は、現在の新制中学校に該当するものであった。堤学校区、若園学校区、竹村学校区、駒場学校区の4つが旧高岡村内にあったが、初め堤、竹村、若園の3校が共同で鼎高等小学校を創立し、旧高岡村地内の小学校卒業生は、この鼎高等小学校へ入学する制度になっていた。併しこの制度は1,2年で廃止せられ、堤尋常高等小学校、若園尋常高等小学校、武村尋常高等小学校に分散し、各小学校の高等科に入学する制度に変わってしまったのである。駒場小学校には高等科が併置せられなかったので、駒場小学校卒業生は堤小学校の高等科へ入学し、通学する制度に変わった。その後、高岡村全体の高等小学校が現在の高岡農協のある場所にでき、なお、その後の学制改革によって現在の場所に『高岡中学校』が誕生したのである。当時、堤小学校の高等科の生徒数は、男子:10名、女子2名であった。
 私が高等科を卒業したのは明治45年、満14歳の3月であったが、先輩の先生が私を呼んで、「代用教員にならぬか」とすすめられた。O氏にも「君から伝えてくれないか」と言われたので、2人は同時に堤小学校の代用教員に採用させられた。O君はまじめな性格であって、先輩の先生にほめられていたが、私は粗暴であったので、時々高等科2年の生徒とよく喧嘩をした。そのたびに先輩の先生が私と相手の高等科の生徒を並べて立たせ、「お前はとにかく先生だ。相手は生徒である。先生と生徒が喧嘩しては困る」と言って、よく私は叱られた。思えば60余年以前の遠い思い出である。
 その後、私は大正3年3月に愛知県第2師範学校へ入学し、O君も同時に入学した。大正7年3月に至って、私もO君も同校を卒業して、それぞれ学校へ奉職したが、O君は順次栄進して高中(高中の前身=尋常高等小学校)の校長をながく務め、この間高中精神を生徒に植えつけた。その後、加藤校長(初代校長)、近藤校長(第2代校長)と相次いで順次名校長および優秀な教職員が続出せられ、高中の教育に当たられたので、今日の優秀校の誉れ高い中学校に育成発展したのである。 〜後略〜

 *個人名のアルファベット表記等、原文を若干変えてあります。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…第二尋常高等小学校全景
 ・下…昭和7年頃の小学校卒業記念写真