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★シリーズ 高岡中の歴史 33-9

公開日
2025/11/23
更新日
2025/11/23

高岡中の歴史

 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その33】-9
  *高岡中学校開校29年目
   昭和50年度(1975年〜1976年)
   校長:渡辺 黄一 校長(第8代)
   生徒数:1,151人(男子:592人 女子:559人)
   教員数:49人

▶ 学校のうごき
 ・4月 渡辺黄一氏 第8代校長に就任
 ・5月 聴力検査、プール給水設置配置
     市少年自然の家林間学校(1年・2班編成)
     遠足(1年:三ヶ根山、2年:犬山明治村)
     修学旅行(3年)
 ・6月 近藤元校長逝去・葬儀
     バスケット県大会出場
 ・8月 台風6号来襲
 ・9月 浜松中研究会(職員10名参加)
     PTA奉仕作業、第4棟土間補修

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高岡本町と西山町のレジャー農園開園
     若林東小学校開校
 ・5月 六所山「少年自然の家」オープン
 ・6月 市勤労青少年伊良湖キャンプ場オープン
 ・10月 豊田市人口 248,774人
 ・11月 文化芸術センターオープン
     鞍ヶ池植物園オープン
 ・2月 西山孝氏豊田市長に就任
 ・3月 昭和51年度予算総額 31,114,608,000円
     曽根遺跡公園完成
      (竪穴式住居後宮家屋あり・森町)
     市人口 25万人突破

▶ 日本のできごと
 ・5月 企業連続爆破の容疑者逮捕、エリザベス女王来日
 ・7月 六価クロム禍広がる
 ・8月 日本赤軍によるクアラルンプール事件
 ・9月 天皇・皇后両陛下ご訪米
 ・11月 空前のスト権スト
 ・12月 三億円事件時効成立
 ・1月 五つ子誕生、不況倒産と雇用不安広がる
     財政危機、赤字国債大増発

▶ 世界のできごと
 ・4月 インドシナ30年戦争終結
 ・7月 米・ソ宇宙でドッキング
 ・8月 初の全欧安保会議開催
 ・9月 シナイ新協定
 ・10月 国連が2つの朝鮮決議、初の金星撮影に成功
 ・11月 ランブイエ会議、フランコ独裁に終止符
 ・2月 米上院わいろ商法を摘発、世界各地で天変地異


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 不況の深刻化は大企業の倒産をよび、新卒の採用を中止する企業が激増し、就職難など雇用不安が表面化してきました。さらに11月末から12月にかけてのスト権ストは空前の規模で行われ、国民の足をマヒさせたのみでなく、大きな社会不安をよんだ。
 校外の問題も新たに「黄色い恐怖」六価クロムの害が加わり、8月には日本赤軍クアラルンプール事件で国民をさらに不安に陥れました。その中でも明るい話題として、日米修好史上初めての天皇・皇后両陛下のご訪米が行われ、5月には英国エリザベス女王の来日が実現した華やかな年でした。



 *この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「『30年』その時期を想う」  *第13代PTA会長
 私たちが母校とする高岡中学校が制定されて、今年で満30周年を迎え、送り出された生徒も万余を数えると聞き、私もここに学び巣立った者として誇りに思い、喜びを共にする一人であります。
 さて、私たちが入学したのは昭和22年4月であったと思い起こす時に、それがまた新学制によって本校が発足をした年でもあることに格別の親しみを感じます。そのころは未だ現在の中学校の建物は何もなく、一帯は、高岡村に代表された田園風景があって、入学した私たちは暫くの間を旧高等小学校の校舎で学んだのであります。とは申しても、あの戦後のようやくにして復興への槌音が鳴り出した時代でのこと、生活物資をはじめ学用品とて恵まれた状態ではありません。答案用紙1枚にしても少し強く書けば破れる、粗末なわら半紙でしかなく、試験の時など問題とにらめっこで、恐る恐る鉛筆を運んだ記憶がございます。また、通学に欠くことのできない履物の多くも、再生ゴムを使った底の硬いズック靴かわら草履で、私も時には母が作ってくれた草履で、地域的に4kmの道を歩いて1〜2往復すれば破れてしまうので、時々裏側を水に浸して土をつけたりして、少しでも長く持たせようと気を配りながら通いました。
 学校でも、時節がら農作業の時間が多く、圃場で田植えも行い、堆肥にする草刈にも精を出し、汗を流しましたが、いつの時代でも昼食の時間は待ち遠しく、各自の弁当を開く楽しさは変わりありません。しかし、それも早々に済ませて運動場に飛び出して遊び場を確保し、キャッチボールに野球にと興ずる1時間の放課時間がまた楽しかったと思います。
 時には全校生徒が揃って映画鑑賞に出かけていきましたが、これも当時のよき想い出となりましょう。
 あれから30年、流星の如しとは言え、長い年月を経て今日、それが苦しいことであっても、楽しいことであっても、私には二度と巡り逢うことのできない貴重な時代であったことを痛く感じながらも、過ぎし日々の追憶に懐かしさを覚える昨今でございます。


「高岡中学校に在学したころ」  *昭和50年度卒業生
 早いもので、もう中学校を卒業してから1年も経ってしまいました。また、あの鮮明な印象の残る入学が、4年も前のことだとはとても信じられません。それほど、私の高岡中学校についてのイメージは強烈なものでした。
 4年前、高岡中学校に入学した時には、顔見知りの人は全体の3分の1でした。当時、私の身長はまだ小さく、大きな学生服からちょこんと首を出した私の顔は、不安げに辺りを見回していました。そんな時です。見も知らぬA君が親切にも声をかけてくれました。うれしかった。私はそれから知らぬ人にも声をかけるようになり、そして痛切に願うようになりました。「友人がほしい」と。それからの学校生活で、私から友人を除いたら何が残りましょうか。私は常に多くの友とともに行動しました。体育大会、文化祭、球技大会……。
 今でも私は彼らを見かけると声をかけますし、彼らも声をかけてくれます。私は中学校時代に誇れるものがあるとすれば彼らだけです。私は後輩たちにこう言いたい。
 「友人をつくり、彼らを大切にしろ」と。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…特活デー・あめ喰い競争
 ・中…特活デー・パン喰い競争
 ・下…文化祭・近藤礼子さんの講演と棒の手の発表