★シリーズ 高岡中の歴史 32-4
- 公開日
- 2025/11/16
- 更新日
- 2025/11/16
高岡中の歴史
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その32】-4
*高岡中学校開校28年目
昭和49年度(1974年〜1975年)
校長:森田 校長(第7代)
生徒数:1,117人(男子:561人 女子:556人)
教員数:47人
▶ 学校のうごき
・5月 遠足(1年:鳳来寺、2年:香嵐渓)
修学旅行(3年)
・7月 大雨警報発令
デトロイト市交歓学生団長ダルトン女史来校
・8月 南庭排水工事、西フェンス張替工事
・9月 プレハブ教室移築(1棟南に2教室)
・10月 秋の遠足
・11月 PTA優良校視察(額田中学校)
・1月 父親学級(講師:浅井善一氏)
・3月 図書館東屋根修理
▶ 地域のうつりかわり
・4月 老人福祉センター豊寿園完成
衣台高校開校、豊南公民館会館
・6月 六所山青少年キャンプ場に「青年の家」完成
・8月 志賀町の香久礼一号古墳発掘
・10月 葵大橋開通、文化芸術センター竣工式
・11月 市不況対策委員会発足
・12月 中心市街地に盲人用敷石歩道設置
県PTA指導者中央研究発表会(於:市中央公民館)
▶ 日本のできごと
・4月 日中貿易・航空協定調印、モナ・リザ一般公開
・5月 伊豆半島に大地震
・8月 三菱重工・三井物産で爆破事件
・9月 赤軍派ゲリラ ハーグの仏大使館襲撃
原子力潜水艦「むつ」で放射能漏れ
・10月 佐藤前首相にノーベル平和賞
長嶋茂雄 巨人軍引退
・11月 田中内閣金脈問題で退陣、三木内閣退陣へ
・3月 新幹線 博多まで延長開業
▶ 世界のできごと
・4月 国連資源特別会議
プラント西ドイツ首相辞任
・8月 ウォルターゲートでニクソン大統領辞任
フォード大統領就任
朴大統領狙撃事件
・10月 モハメド・アリ フォアマンをKO
・11月 アラファト国連議長に
米国中心に世界的な不況傾向
・1月 中国新憲法で国家主席廃止
・3月 サウジアラビア国王暗殺
▶▶ 時代の概観 ▶▶
映画「日本沈没」が大当り。自由謳歌時代でも、人間はなんとなく不安を感じるもののようです。
一方、パニックをはじめとして、品不足や牧歌の急上昇に庶民は大弱り。ルバング島に潜んでいた小野田寛郎さんが30年ぶりに救出されたり、東京で「モナ・リザ展」が開催されるなど明るい話題のかげに、韓国では反日運動がにわかに激しくなり、海外の赤軍派のゲリラ活動が激化、国内でも三菱重工ビル前に仕掛けられた時限爆弾爆発事件で多数の死者を出すなど、金融引き締めの世に不気味な空気を漂わせました。
*この年に関わる方が残した記録を紹介します。
「歌は世につれ」 *第12代PTA会長
私がPTA会長の任にあったのは、昭和49年4月から50年3月までの間でした。49年といえば、最後の日本兵といわれた小野田元少尉がルバング島から帰国されたのが3月12日であり、当時巷にはフォークグループ海援隊の「コラ! テツヤ」で始まる「母に捧げるバラード」という奇妙な歌がかなり流行していました。私は就任のあいさつに、「テツヤの母のような人こそPTA会長にふさわしいんであり、私も彼女を見習いたい」とやりましたので、ここにその一部を引用させていただきます。
「コラ! テツヤ 何ばしようとかいな、この子は。おまえはよう学校へ行ってんか! テレーとして。(中略)死ぬ気で働いでみろテツヤ。働いて働いて働きぬいて、遊びたいとか休みたいとか、そんなことおまえいっぺんでも思うてみろ、そんときゃテツヤ死ね。それが、それが人間ぞ。それが男ぞ。おまえも故郷捨てて花の都へゆく限りは、輝く日本の星となって帰って来いよ、行ってこい。どこえでも」と、言葉は少々荒っぽいが、そのはしはしには子どもに対するひたむきな愛情と、保護者としての自信と責任のほどが溢れています。また、少々べそをかきながら母親の説教を聞いているテツヤの素直さも眼に見えるようで、両者の間には暖かい愛情のパイプがしっかり通っており、いわゆる断絶は見られません。したがって、こういう人こそPTA会長にふさわしく、私も彼女を見習いたいと述べたわけであります。
49年半ばに百恵ちゃんの「一夏の経験」という歌がはやりました。中学を出たばかりの女の子が、「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ……」とや出したので、「そう簡単に女の子の一番大切なものをやったりもらったりしたら困るがなぁ」と思っていましたが、女の子の一番大切なものは他にもあるらしく、へんなふうに気をまわすのは一部の大人たちだけだったらしく、周囲に何の波風も立たなくてほっといたしました。健全にして高邁な理想の灯をかかげるわが高中生の間に、さざなみすら起きなかったのはもちろんであります。
50年になると、吉田拓郎の「我が良き友よ」という歌がはやりました。「下駄を鳴らして奴が来る、腰に手ぬぐいぶら下げて、学生服にしみ込んだ、男の臭いがやってくる。ああ夢よ、よき友よ、おまえ今頃どの空の下で、俺とおんなじあの星見つめて、何想う……」というやつです。これは戦前の旧制高等学校の学生のことを詠んだ歌と思われますが、当時の高校生(現在の大学教養部生)といえば、学生服の腰に手ぬぐいをぶら下さげて、朴歯の下駄を鳴らしながら白線帽に冬は防寒マントといった姿がまぶたに浮かんできますが、それとともに、素朴で、ややテレ屋で、それでいてやさしく、男らしく、そして人生や真や美や善に対し、情熱をもって語り合っていた、若き群像等のことなどもまた胸によみがえってきます。当時は日本中の汽車は、まだ煙を吐いて走っていたころで、この頃の学生たちには、テレビやマイカーやコンピューター、教育ママだとか過保護だとかの恩恵があるわけはなく、みな自分で努力し、自分で自分を鍛えていったものでした。それだからこそ、自然とにじみ出る心の豊かさというものがあったんじゃないでしょうか。能率的で消費物資のあふれる現代ですが、かえって豊かな心というものが忘れられがち、失われがちであります。私は高岡中学校の生徒諸君が、将来豊かな心を持つように成人し、あるいはそうなるように努力してほしいものと思っております。
こう述べて、私はPTA会長を辞任する時のあいさつを終わりました。
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…世の中の様子
佐藤前首相ノーベル平和賞受賞・国際婦人年会議
・下…世の中の様子・新幹線 博多まで延長開業