★シリーズ 高岡中の歴史 28-5
- 公開日
- 2025/10/19
- 更新日
- 2025/10/19
高岡中の歴史
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その28】-5
*高岡中学校開校24年目
昭和45年度(1970年〜1971年)
校長:筑紫 孝一 校長(第5代)
生徒数:1,116人(男子:584人 女子:532人)
教員数:44人
▶ 学校のうごき
・4月 筑紫孝一氏 第5代校長に就任、万博見学(3年)
・5月 湯茶室流し取替え補修工事
・6月 万博見学(1,2年)、修学旅行(3年)
・7月 中京大 中山彰規選手講演会
レコードコンサート(生徒会)
市内大会優勝(女子ハンド、女子バスケ、野球)
西三大会優勝(女子ハンド、柔道個人)
・8月 学校無人化実施、防犯灯取付工事
夕森キャンプ(1年)、工場見学(3年)
・9月 高岡ブロック教員親睦バレー大会
・11月 遠足
1年:洲原池、2年:祐福寺、3年三好池
優良校PTA視察 吉良中学校へ
・12月 ストーブ取付、文化クラブ発表会
ブラス演奏会(トヨタ自工養成校)
・2月 学校長ご逝去・教育委員会葬(於:体育館)
・3月 市未来展見学(1,2年)
▶ 地域のうつりかわり
・4月 松平町 豊田市に合併
・5月 錦町に豊田保健所完成
・6月 勘八峡老人福祉館オープン
・7月 市消防本部庁舎完成
・8月 豊田市体育館オープン
・9月 豊田音頭できる、教育放送「FM愛知」放送開始
・10月 国鉄岡多線 岡崎〜北野桝塚間開通
県営西三河水道豊田浄水場起工式
・12月 東名豊田線開通(名鉄バス)
▶ 日本のできごと
・4月 大阪の地下鉄工事現場でガス爆発 死者78人
・6月 種痘ワクチンで赤ちゃん死亡続出
日米安保条約自動継続
・7月 公害問題深刻化
・8月 歩行者天国実施
・11月 三島由紀夫割腹事件、アメリカの生産調整開始
・1月 閣議環境庁の新設決定
・2月 成田空港強制代執行
・3月 阪大入試問題の不正売買
▶ 世界のできごと
・4月 人工衛星打上げ成功(中国)
・6月 ドゴール死去
・7月 ラー2世号大西洋横断
・9月 乗っ取り機爆破(ヨルダン)
・11月 月面車1号ルナホート活躍(ソ連)
代表権問題で広がるかげ(中国)
高潮による死者 今世紀最大(パキスタン)
恐怖のサイクロン マンブラ島を襲う
・3月 ソンミ村虐殺事件(カリー中佐重刑・南ベトナム)
▶▶ 時代の概観 ▶▶
1970年代の夜明け、昭和45年3月14日から大阪千里丘陵で開かれたアジアで最初の日本万国博覧会は、総入場者数6422万人、160億円という史上最高の黒字を出し、大成功のうちに9月13日に幕を閉じました。反面、都会には光化学スモッグやヘドロ、カドミウムと公害騒ぎが次第に広がっていきました。4月には大阪の地下鉄工事現場でガス爆発、死者78人・重軽傷者300余人を出したのをはじめ、昭和46年1月には和歌山県の観光旅館が焼けて死者16人を出すなど、災害の続いた1年でした。
ノーベル賞候補にものぼった作家・三島由紀夫がクーデターに失敗、割腹自殺をしたのは昭和45年の暮れに近い11月25日でした。
*この年に関わる方が残した記録を紹介します。
「思い出すこと」 *第8代PTA会長
昭和45年度は、竹学区が会長当番ということで選出された私にとって、今まで生徒教育は「学校へ信頼してお任せ」だっただけに、この大役どうなることかと心配しましたが、筑紫校長、川村教頭、倉橋教務主任、浜嶋校務主任はじめ諸先生方のご尽力、そして副会長の神谷さん(駒場)、池田さん(若園)を中心にご立派な理事諸氏が揃い、役員一同すべてが生徒のためにという一つの目的の下で、積極的に運営されたことは本当にありがたいことでした。
たとえば私の記憶では、年度当初、常任理事会は各学期3回計画されたが、実際には12回も行われ、当時は高度経済成長最中で、ますます生徒の膨張する高中の受け入れ態勢と、近い将来のための交通安全対策を大きな目標として、皆さん一生懸命に活躍されたものでした。
この年、どうしても忘れることのできない大事な次の2点を申し上げなければなりません。
1 筑紫孝一校長のご逝去
この4月、本校校長にご就任の筑紫先生には、教育者として多年のご経験と熱烈なご情熱をもってあられたのですが、5月に加茂病院にご入院、胃の手術を受け、経過もよろしく、9月末には学校へご勤務されるまでになりましたが、病気あがりの御身体を顧みず、特に12月から1月にかけ、進学や次年度の計画、その他校内外の激務に没頭されました。忘れもしません。2月8日、PTA常任理事会でも新年度の事業、生徒への教育指導問題など烈々とご意見を吐露されましたが、その直後の13日、突如急変、ご逝去されました。PTAの役員会が校長先生の死期を早めたのではないかと暗然言葉もなく、あとあとまで悔いの残ることでしたが、文字通り一身を犠牲にされ、高中に捧げられたと申しても過言ではありません。
一年足らずの在職期間とはいえ、私どもや生徒に与えられた教育上の影響は、非常に大きなものがあったと推察しております。今はただ、高中のこの発展をご報告申し上げ、心からご冥福を祈りあげるばかりです。
2 技術教室の改築と校舎増築陳情
技術教室は、終戦直後家畜小屋を移設改修したもので、生徒は技術関係授業を極めて悪い環境条件の下で行っていたので、これら授業を最も効果的にできる教室が一刻も早く、何にもまして切望されていたこと、そして当時1,150名(27学級)が3年後には1,400名前後(35学級)にと予測されるので、普通教室の増築はゆるがせにすることができないということで、昭和46年度豊田市予算にぜひとも計上してもらうべく、学校、PTAあげて運動を始めたことで、幸い高中顧問の酒井県議、板倉、寺田、岩月(寿)市議等のご指導を受けて、保護者全員の署名を集め、関係方面へ陳情、あるいは必要に応じて懇談要請などの諸活動をしたことで、役員の皆さん本当にご苦労様でした。
なお、任期満了後の昭和46年度に入り、技術科教室の改築決定(昭和47年4月完成)、また高岡中の学級不足には別の中学新設(現・竜神中)で対処などの決定を聞き、当時の役員としてまことに嬉しく、よかったなぁと喜んだものでした。
そのほか、生徒としてはPTA招待によるオリンピック体操ゴールドメダリストの中山彰規選手の講演と模範演技、役員としては優良校として新装なった吉良中学を視察したことなどは、楽しい思い出になっていることと存じます。
終わりに、わが高岡中学がますます評価を高めて発展されて、ここに30周年を迎えられましたことを心からお祝い申し上げ、さらにいよいよ中等教育のシンボルとしてご活躍されますことを切に祈ってやみません。
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…大阪万博・太陽の塔
・下…大阪万博・七重の塔