★ シリーズ 高岡中の歴史 19-2
- 公開日
- 2025/08/17
- 更新日
- 2025/08/17
高岡中の歴史
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その19】-2
*高岡中学校開校15年目
昭和36年度(1961年〜1962年)
校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
教員数:33人
▶ 学校のうごき
・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
修学旅行(3年:関東方面)
・5月 交通訓練指導(安城署)
・6月 県保健厚生課学校訪問
・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
・8月 キャンプ(2年:湯の山)
鉄筋校舎竣工式(6教室)
郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
西三大会優勝(サッカー・柔道)
・9月 第2室戸台風襲来
・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
・12月 航空写真撮影
・2月 15周年記念回顧座談会
▶ 地域のうつりかわり
・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
アメリカ・デトロイト市と都市提携
・5月 町制5周年記念式典
愛知用水高岡工区用水路完成
県営住宅堤団地完成
・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
・8月 有線放送協会設立総会開催
・9月 愛知用水完成
・12月 有線会館敷地の地鎮祭
・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
*102,040,760円
▶ 日本のできごと
・6月 小児マヒ大流行
・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
・12月 ニセ千円札事件
・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
・2月 流感(A2型)流行 休校続出
・3月 北陸トンネル完成
▶ 世界のできごと
・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
マーキュリー計画成功(アメリカ)
軍事クーデター(韓国)
・6月 米ソ首脳会談
・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
・9月 中立国首脳会議
・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)
▶▶ 時代の概観 ▶▶
冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。
この年に関わる方が残した記録を紹介します。
「子供の導き方」 *飯田校長(当時の学校新聞から)
ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。
「高中の憶い出 −教師の土根性−」 *当時の教頭
高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…新校舎完成(第1棟の西側半分)
・中…落成
・下…旧校舎