★ シリーズ 高岡中の歴史 11-6
- 公開日
- 2025/06/22
- 更新日
- 2025/06/22
高岡中の歴史
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その11】-6
*高岡中学校開校7年目
昭和28年度(1953年〜1954年)
校長:加藤 倉次郎 校長(初代)
生徒数:987人(男子:465人 女子:522人)
教員数:28人
▶ 学校のうごき
・4月 遠足
*1年:水源、2年:桜丘、3年:和合ゴルフ場
・5月 修学旅行(3年:関西方面)
・8月 キャンプ
*1年:湯の山、2年:上高原、3年:段戸山
郡大会優勝(男子バスケ部)
・9月 夏休み作品展、一人1研究発表会
・10月 NHK全国唱歌ラジオコンクール愛知県大会優勝
・11月 郡数学研究会
西三大会優勝・県大会3位(柔道部)
校内マラソン大会
▶ 地域のうつりかわり
・6月 中日球場で初のナイター
・7月 東海道線 浜松−名古屋間電化完成
・9月 13号台風襲来
使命達成に努め、消防班県知事より感謝状
竹村小学校新校舎建築(4棟3教室と講堂)竣工
・11月 市立図書館独立して開館
市内巡回バス開通
・2月 拳母市商工会議所発足
高岡村内 赤痢の集団的発生
・3月 三月定例議会
29年度歳入予算額 52,762,310円を可決
大林保育園開園
一本木郷成立、高松宮殿下ご来村
青矜橋、男川橋、交角橋竣工 青年団県表彰
▶ 日本のできごと
・4月 ボストンマラソンで山田選手優勝
・6月 ワイドスクリーン映画開始
北九州豪雨(1,200人不明)
・7月 伊東絹子ミスユニバース入選
・8月 民間テレビ本放送開始
・12月 ソ連から第1次引き揚げ船舞鶴到着
奄美群島の返還
・1月 二重橋事件(死者16人)
戦後最初の地下鉄開通(池袋)
・2月 力道山プロレスブーム
・3月 福竜丸死の灰事件
▶ 世界のできごと
・5月 インドシナ3国への援助強化(アメリカ)
・6月 女王エリザベス2世戴冠式(イギリス)
世界平和評議会ブタペストアピール採択
共和制を宣言(エジプト)
・7月 休戦協定調印(朝鮮)
・8月 水爆実験(ソ連)
・9月 ソ連・北朝鮮首脳会談
・12月 米英仏3国首脳会議
・1月 原子力潜水艦ノーチラス号進水
米英ソ仏4国外相会議
この年に関わる方が残した記録を紹介します。
「柔道部発足のころ」 *卒業生・この地域の市議会議員(当時)
高岡中学校柔道部が発足したのは、昭和26年の夏休み中だったと思う。部員約50名で、2年・1年が中心だった。畳敷きの家庭科教室を柔道場にしたため、腰板もなく、ガラス戸に近づくのは危険極まりなかった。1着500円もする柔道着が、各自で持てる時代ではなかったため、順番を待った。また父兄の道衣を持って来た人は、手首が出ないほど大きく、滑稽な姿だった。畳も道場用でないため、1か月も過ぎると穴があき、部員は畳屋に早変わりもした。
部長は中野剛先生で、現駒場小学校長。副部長は古沢喜知治先生で、現保見中学校教頭をされている。戦後6年目であり、生徒の士気を高め、質実剛健な生徒の育成には柔道がよいと、郡内で最初に発足した。よって、最初から礼を重んじると同時に、練習もハードなものだった。学校では朝、昼、授業後の練習と、安城農林、刈谷、岡崎工業などの高校へ出かけ、また夜は、知立市牛田、刈谷市今川の町道場で一般の人の胸を借りる毎日だった。レベルも急速に上がり、西三大会優勝、県大会3位といった好成績が続いた。とにかく先輩がいなかっただけに、先生も基礎作りに大変だったと思われる。発足して25年になる。多くの後輩が同じ道を経て社会人になっている。柔道の体験が有形、無形の形でプラスしていること計り知れないと思う。
市内に12の中学校があるが、柔道部を持っているのは高中1校だけである。したがって、他の球技、陸上、水泳等のように市内大会が開かれないことを非常に残念に思う。
青少年の健全育成が叫ばれる現在、日本古来の武術である柔剣道が、市内全中学校、高校の正課に取り入れられて、市立武道館を建設して、多くの若人が集まり、汗と涙の青春をかけた大会が開かれることを夢見る次第である。
「在職中の思い出」 *第7代校長:森田校長
中学発足当時の校舎は、現在の高岡農協の西の僅かな土地にあったので、現在地に移転改築することとなった。校長は将来の生徒数・教育の在り方について先見の明があり、校地は5町歩を要求されたが、諸般の事情で3町歩に落ち着いた。費用節減のため、生徒たちが幾日も材木・瓦運びに協力した。校長は学校環境構成に力を入れられた。校地の周囲は樹木に囲まれ、校舎の間には春夏秋冬の花木があり、果物が実るようにしたいのが念願であった。今、大木となっている校地周辺の木はすべて職員・生徒の植えたものであり、校地内の樹木は全学区22字(あざ)がそれぞれ一区画ずつ受け持ち、各家庭から名木を持ち寄って植樹していただいたものである。運動場の周囲の末は24年度の卒業生が自身の身長の高さのものを植えたのである。
教育面では、質実剛健をモットーに職員・生徒の和を中心に知情意の伸展に努めた。若い私たちが嬉しかったのは、校長から、「君たちがよいと思うことは思い切ってやれ。責任は俺が持つ」と言って、全面的に任せられたことだった。そして校長はいつも「学校は勉強させるところだ」と言っておられた。この教訓は私の在職中の学校運営の基本となった。
先ず学力の充実に力を注いだ。4月の入学式に新入生の学力テストをし、学級編制の資料とした。これは数月続いたが、小学校の先生にハッパをかけることになったようだ。国語、数学は全校生徒に級別テストを実施した。
体力面では、通学に自転車のチューブ・タイヤが不足していたためもあるが、4粁(キロメートル)未満は徒歩とした。学校給食を早く始め、各種スポーツを他校に先んじて開始し、有終の美を飾った。
技術面では中古旋盤をトヨタ自工から入れ、中野剛先生と二人がトヨタの工場へ夏休み中通って、実地指導を受けた。卒業生で電装(デンソー)の市川君、トヨタ自工の清水君は外国にも派遣され、養成工の指導者になった。
思い出は尽きないが、何はともあれ職員が相和し、張り切っていたし、町当局はもちろん、各字区長・PTA・大工さんまで、学校のためならと本当によく協力してくださった等々がうれしかった。
・高岡国民学校勤務
昭和20年5月31日〜昭和22年3月31日
・高岡中学校勤務
昭和22年4月1日〜昭和29年3月31日
・高岡中学校校長
昭和48年4月1日〜昭和50年3月31日
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…部活動(野球部)
・中…部活動(バスケットボール部)
・下…部活動(ソフトボール部)