★ シリーズ 高岡中学校の歴史 5-2
- 公開日
- 2025/05/11
- 更新日
- 2025/05/11
高岡中の歴史
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その5】-2
*高岡中学校開校1年目
昭和22年度(1947年〜1948年)
校長:加藤 倉次郎 校長(初代)
生徒数:708人(男子:386人 女子:322人)
教員数:18人
▶ 学校のうごき
・4月 新制 高岡中学校の創立・開校式
・5月 授業開始・家庭訪問
・6月 遠足
(1年:勘八峡 2年:岡崎公園 3年:五色園)
農繁休暇
・7月 海水浴(玉津浦)
・10月 校内体育大会
第1・2校舎地鎮祭(昭和時代の4・5棟)
・11月 校内話し方大会
・12月 安城地方見学
(1年:農事試験場 2年:帝国製糸 3年:警察署)
・2月 ピアノ開鍵式、理科製作品展覧会
・3月 映画鑑賞(若林座「戦争と平和」)
▶ 地域のうつりかわり
・4月 高岡村村長に石川勇氏就任
・5月 名古屋高裁、地方裁、簡易裁設置
・6月 名古屋港から戦後最初の民間貿易船出航
愛知教員組合結成
・10月 御園座開場
国税調査(高岡村人口:15,921人)
進駐軍軍政部ハクラー氏高岡中学校来校・査察
・12月 安城農林学校復興記念展覧会
・2月 若園小宿直室増築
・愛知県国家地方警察発足
この年に関わる方が残した記録を紹介します。
「卒業証書と語る」 *第一回卒業生(卒業証書第1号生徒)
われわれは満州事変、支那事変、大東亜戦争、これらの戦争の真っただ中で、生まれ育った年代だ。
教育機関は、教育勅語に始まり、五か条の御誓文、軍人勅諭まで折り込んだ義務教育であった。とにかく軍国主義の泥縄教育であった。終戦後1年半が過ぎたところで、6・3・3世の教育が施行され、このころ日本の経済は著しく低下した時期であった。われわれ中学3年生の時には、まことにお粗末なもので、教室は急造仮設部屋に、あり合わせの畳を敷き詰め、そこに和裁用の裁台を並べて、1年間座っての勉強だった。まるで明治初期の寺子屋方式を思わせる風景だったと思う。最後のこの年には、まったく勉強する道具はなく、鉛筆、帳面は自由に買えず、教科書など1冊もなく、先生が藁半紙にガリバン印刷して、それを教科書代わりにして勉強した。ある時は担任の先生が国語の教材として、山本有三の「路傍の石」を印刷してくれたのを読んだこともある。
この時から男女共学が占領軍マッカーサー指令で施行され、われわれは慣れない共学に面食らい、教室の左右に別々に座り、その境目に座った者は背中合わせのような格好で勉強していた。それも卒業間近にはそのしこりも解け、宥和な雰囲気になった。1週間の時間割のうち半分は農業の時間で、そのうちほとんど屋外での実習であった。
日本中の大人も子どもも食糧増産に励んだ時代だ。通学には自分の家から、鎌、備中、肥桶等、これらの道具を毎日のようにかついでの登校であった。
われわれの年代は、このような未熟な学業であったが、今日の教育は実に目を見張るものがある。豊かな厚みのある教育に、強豪な体力で、今後わが国の担い手として活躍してくれることを期待するとともに、われわれはその新芽を温かく見守っていきたい。
*掲載文を若干編集して紹介しています。
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…卒業証書 第1号
・中…当時の教職員
・下…修了証書授与簿