★ シリーズ 高岡中学校の歴史 4-3
- 公開日
- 2025/05/05
- 更新日
- 2025/05/05
高岡中の歴史
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その4】-3
*高岡高等小学校時代の教育
大正4年〜昭和21年(1915年〜1946年)
*高岡高等小学校に務めていた方が残した記録を紹介します。
「昭和7〜8年頃の思い出」
私が高岡高等小学校へ入学したのは昭和7年4月で、その前の年に満州事変がおこり、その年に上海事変がはじまっている。その頃は大変不景気で、上級学校へ進学する者はほんのわずかで、高岡地区の4つの小学校の同年卒業の男子では、中学・商業・農林学校へ1名ずつ行っただけであった。私も小学校6年の時、刈谷中学校の先生が勧誘に来られたので、行ってもいいと答えた。家へ帰って父親に話したところ、「中学校へ行くには電車賃と授業料で毎月10円もかかり、そのほかにも金がいる。また、その上の専門学校まで出なければいい職場はないのでやれない。高等小学校へ行って師範学校を受けよ。授業料は出さなくてもいいし、自転車で通えば金もいらない。もし受からなかったら百姓をするか小僧(店の奉公人)に行け」と言われた。
当時の高岡高等小学校は、現在の高岡農協本所のところにあった。堤・若園・竹村・駒場の4つの小学校を卒業した指導の8割余りが進学した(小学校を卒業してすぐに奉公に行った男の子や、製糸工場へ行った女の子もあった)。学校へは着物(和服)を着て、はかまをはき、下駄をカランコロンさせて通った。
その当時の学校には現在のような部活動はなかったので、授業が終わるとすぐ家に帰って遊ぶか農業の手伝いをした。私は春から秋にかけて牛のえさの草を刈るのが仕事であった。八百屋ふご2つに1ぱい分の草(35キログラム位)を刈ってかついで帰った。
別の話になるが、当時の学校はのんきで、岩津の天神さんは学問の神様ということで、旧暦1月25日の大祭の日は、授業は午前中2時間だけで終わり、みんな家で3〜30銭もらって歩いておまいりに行った。見世物を見たり、裏山へ登って水晶さがしをしたりして帰った。
*掲載文を若干編集して紹介しています。
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…当時の職員
・中…当時の男子生徒
・下…当時の女子生徒