★ シリーズ 高岡中学校の歴史 4-1
- 公開日
- 2025/05/05
- 更新日
- 2025/05/05
高岡中の歴史
令和8年度に創立80周年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。
■ 高岡中の歴史 【その4】-1
*高岡高等小学校時代の教育
大正4年〜昭和21年(1915年〜1946年)
▶ 世の中の出来事
・大正8年 各小学校に農業補習学校併置
・大正12年 関東大震災
・大正15年 青年訓練所令公布、
大正天皇崩御、今上天皇即位
・昭和6年 満州事変始まる
・昭和8年 農業補習学校並びに青年訓練所を廃止し、
高岡青年学校を設立
・昭和10年 青年学校令公布
・昭和12年 日華事変始まる
・昭和16年 国民学校令公布、太平洋戦争始まる
・昭和20年 終戦
・昭和21年 日本国憲法公布
高岡高等小学校に務めていた方が残した記録を紹介します。
「神戸校長の思い出」
高岡中学校の前身・高岡高等小学校に私が奉職したのは、大正時代の終わりから昭和時代の初めにかけての数年間で、神戸校長、羽根田校長、岩瀬校長の三代に仕えた。どの校長もそれぞれ特異な個性の持主であったが、特に神戸校長の印象は深く、50有余年を過ぎた今でも、ほほ笑ましい思い出として私の脳裏に去来するのである。
神戸校長は富士松村の西境から、約8粁(キロメートル)の道を、時にはオンボロ自転車で、時には下駄ばきの徒歩で通勤せられた。その服装たるや実に質素で、古びて色あせた紺サージの詰襟洋服、だぶだぶのズボン、バンドは紐、風呂敷で包んだ弁当を腰に巻きつけ、腰に手拭をぶらりとさげた風采は、誰が見ても高岡高等小学校長と思われない田舎親爺そのものだった。「だらしのない校長先生」と陰口を言う者さえあった。
しかし、神戸校長の心は実に高邁で、外見とは全く反対だった。ある時突然、県視学が学校視察に来たことがある。授業参観の前に職員を集めて訓辞があった。それから職員の教案簿を調査した。突然のことなので、その日の教案を書いていない者が2人あった。県視学がその2人に注意を始めたその時、「私の学校には教案がなければ授業のできないような不勉強な先生は一人もいません」と突然校長が言った。実に厳然たる態度であった。威圧された県視学は、授業も見ずに帰って行った。部下職員を信頼しきっている、清濁併せ呑む神戸校長の度量の広大さに打たれたのであった。
神戸校長は、「質実剛健」の精神養生のために風変わりな遠足を行った。朝学校を出発し、歩いて熱田神宮に参拝、境内で日の丸弁当の昼食をし、また歩いて夕方帰校するものである。隊列の先頭に常に変わらぬ風采でテクテク歩く神戸校長の姿が、今も目に浮かんでくる私である。
*掲載文を若干編集して紹介しています。
*『高岡中学校 創立30周年記念誌』より
▶ 掲載写真の紹介
・上…当時の始業を知らせる鐘(現在も校長室に保管)
・中…当時の通学区域
・下…学校沿革史