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★ シリーズ 高岡中学校の歴史 2

公開日
2025/04/20
更新日
2025/04/20

高岡中の歴史

 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その2】
  *鼎(かなえ)高等小学校時代の教育
   明治30年〜明治40年(1897年〜1907年)

 明治30(1897)年9月、堤尋常小学校の補習生、竹尋常小学校の卒業生及びその卒業後、岡崎高等小学校に就学せるもの、一本気・若林両校の卒業生とその補習生、並びにその一部岡崎・知立高等小学校に就学せるものを、堤・竹・若園の三か村組合立で高等小学校を設置することになり、竹村長:岩月賢重、若園村長:都築善之助、堤村長:中野以祐、合議によって「鼎(かなえ)高等小学校」と命名して開校した。この時、西田・大林は隣接する東北高等小学校に西加茂郡三好の一部明知も鼎高等小学校に就学した。

 明治34(1901)年4月、若林・一本木両小学校を合併して「若園小学校」と改称する。

 明治39(1906)年5月、高岡村制が施行され、小学校義務教育も6か年となったので、若園、堤、竹、駒場各校ともに校舎が不足するところから、鼎高等小学校を「堤小学校」と「若園小学校」に分かち、駒場と堤の部落の高等科生を第一尋常高等小学校として、現在の「堤小学校」の位置へ、竹と若園両部落の高等科生を併せて第二尋常小学校として、現在の「若園小学校」の位置へ移して、鼎校の高等科を併設した。この12か年にわたり、10回の卒業生を出した。
 明治39(1906)年5月、再び市町村制による町村の廃合が行われ、現在の高岡町の領域となり、学校の名前も改称された。
 ・高岡村立第一尋常小学校(堤尋常小学校)
 ・高岡村立第二尋常小学校(若園尋常小学校)
 ・高岡村立第三尋常小学校(竹村尋常小学校)
 ・高岡村立第四尋常小学校(駒場尋常小学校)
 ・高岡村立高岡高等小学校(鼎高等小学校)

 大正11(1922)年8月、学制頌布50周年にあたり、これら生徒の生存者一同によって、鼎高等小学校跡へその遺跡記念碑が建てられた。その後、村の中央に一村一校の『高岡高等小学校』が建設され、3学年制をも取り入れた。第二次世界大戦後、六・三制により『高岡中学校』になった。

  *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…明治40年 男子生徒
 ・下…明治40年 女子生徒