高中生の学習や活動の様子など、旬の情報をお届けします! どうぞ、ご覧ください。

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-10

画像1 画像1
画像2 画像2
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-10
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…クラス写真(3年7組)
 ・下…クラス写真(3年8組)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-9

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-9
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…部活動(サッカー部優勝)
 ・中…部活動の様子(バスケット部)
 ・下…部活動の様子(バレー部)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-8

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-8
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…新しくなったバックネット
 ・中…新しくなったバスケットコート
 ・下…当時の学校平面図
 
【写真説明】
 待ちに待ったバックネットと、バスケットコートが新設された。
 新校舎建築に伴い移転をよぎなくされたバックネットであったが、あまりにも古いため今度新しくできたのである。プロでも使えそうな立派なもので、さぞかし野球部はのびのびとやれることだろう。
 また、バスケットコートは今まで小運動場にあって、バレーコートと重なり不便であったが、新しいコートが出来上がったので気分的にも新鮮味があって、みんな喜びに満ちてはりきっている。
 しかし、残念なことに排水工事が完成せず、コートも地ならしが十分にできていない状態なので、一日千秋の思いで、完成を待っている。  (当時の学校新聞より)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-7

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-7
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…部活動(柔道部)
 ・中…部活動(女子バレー部)
 ・下…部活動(男子バレー部)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-6

画像1 画像1
画像2 画像2
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-6
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…デトロイト市との都市提携
 ・下…高校生との親睦
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-5

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-5
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…クラス写真(3年4組)
 ・中…クラス写真(3年5組)
 ・下…クラス写真(3年6組)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-4

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-4
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…新校舎完成まで1(地鎮祭)
 ・中…新校舎完成まで2(起工式)
 ・下…新校舎完成まで3(竣工式)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-3

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-3 
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…新校舎完成まで1(工事の様子)
 ・中…新校舎完成まで2(夜の工事)
 ・下…新校舎完成まで3(工事すすむ)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-2

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-2
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…新校舎完成(第1棟の西側半分)
 ・中…落成
 ・下…旧校舎
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 19-1

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その19】-1
  *高岡中学校開校15年目
   昭和36年度(1961年〜1962年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,344人(男子:692人 女子:652人)
   教員数:33人

▶ 学校のうごき
 ・4月 遠足(1年:平戸橋、2年:高浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 交通訓練指導(安城署)
 ・6月 県保健厚生課学校訪問
 ・7月 キャンプ(1年:相楽山荘)
 ・8月 キャンプ(2年:湯の山)
     鉄筋校舎竣工式(6教室)
     郡大会優勝(柔道・サッカー・バスケ男女)
     西三大会優勝(サッカー・柔道)
 ・9月 第2室戸台風襲来
 ・10月 県大会(サッカー:3位、柔道:3位)
     全国学力テスト実施(2,3年・文科省)
 ・11月 新人戦優勝(野球・バスケ男女・バレー男女)
     遠足(1年:水源、2年:三好池、3年:洲原池)
 ・12月 航空写真撮影
 ・2月 15周年記念回顧座談会

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 高蔵寺ニュータウン建設着手
     アメリカ・デトロイト市と都市提携
 ・5月 町制5周年記念式典
     愛知用水高岡工区用水路完成
     県営住宅堤団地完成
 ・7月 岩手県より11名の青年が国内研修に来町
 ・8月 有線放送協会設立総会開催
 ・9月 愛知用水完成
 ・12月 有線会館敷地の地鎮祭
 ・3月 町議会歳入予算総額1億円突破可決
      *102,040,760円

▶ 日本のできごと
 ・6月 小児マヒ大流行
 ・8月 釜ヶ崎事件、松川事件無罪判決
 ・9月 第2室戸台風襲来、大鵬・柏戸横綱に
 ・10月 東洋の魔女欧州遠征で全勝
 ・12月 ニセ千円札事件
 ・1月 「歌会始」の入選歌 盗作事件
 ・2月 流感(A2型)流行 休校続出
 ・3月 北陸トンネル完成

▶ 世界のできごと
 ・4月 春の人間衛星船ボストーク71号打上げ(ソ連)
 ・5月 社会主義共和国宣言(キューバ)
     マーキュリー計画成功(アメリカ)
     軍事クーデター(韓国)
 ・6月 米ソ首脳会談
 ・7月 友好相互援助条約調印(ソ連・中国・北朝鮮)
 ・8月 東ドイツ政府 ベルリン境界封鎖
 ・9月 中立国首脳会議
 ・10月 50メガトン級核実験(ソ連)
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・2月 初の人間衛星船打上げ(アメリカ)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 冬の厳しい寒さにひきかえ、この年の夏の暑さは格別で、気温37.5度を超す猛暑つづきに、日本製のホンコンシャツやムームー姿が大流行しました。
 若者の間にドドンパやスクスクなど新リズムが流行しました。婦人の間にシームレスストッキングが流行したのもこの年からです。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「子供の導き方」  *飯田校長(当時の学校新聞から)
 ある時私は偶然の機会からこんな情景を見た。それは、ある家の庭先にちょっとした苺畑があった。ほんの家庭用に作ってあったのである。ちょうどそこへ、小学生なら高学年、中学生らしい子供が一人通りかかった。その子はハッと足をとめあたりを見渡していた。さもおいしそうに色づいた苺を見つけたらしい。ややためらっているらしかったが、そこへしゃがんで、手早く二つ三つちぎってポケットに入れ足早に立ち去って行った。(ただし本校の生徒ではありません)私はこれ目撃して次の三つのことを思った。
1 その子にはたして罪悪感があったかどうかという事である。若しその子が常習犯であるならば別問題である。おそらくその子はもし人に見つけられ詰問されたら、「そういう事はいけない事です」とはっきり返事をするに違いない。するとその子は善悪の判断はできる子であるわけである。
2 そうした良心をもった子であるにもかかわらず、盗みをはたらいてしまったわけである。なぜだろうか。私は思う。その子は理性ははたらいていたのであるが、苺を見たとたんに、「おいしそうだなあ」と感じ、「一つ食べたいなあ」と思ったに違いない。そしてとろうかとろまいかと、頭の中で善悪の心が相たたかったに違いない。とうとう理性は本能に負けてしまったに違いない。
3 親として教師としてこの事からどう考え、どうしたらよいかを考える事が大切である。


「高中の憶い出 −教師の土根性−」  *当時の教頭
 高中の教師は馬力があった。何をするにもファイトがあった。薬かんを叩いて蛮声をはり上げ、歌をうたった。女子教員は家庭科と養教の先生の外は1〜2名で、あとは男性の生きのよいものが30〜40名だから精がいい。酒も随分に飲んだが、仕事も皆よくやった。徹夜組もいく組かあった。負けず嫌いなものばかりで、中統は県一、クラブは郡・西三の1位をねらった。図書館教育も文部大臣賞をねらって知立中学と張り合ったものである。
 昭和37年の春、創立15周年記念行事を10日間行った。私の赴任3年目であった。産業展・展覧会・体育行事・学芸発表会・父兄会・講演会・遠足・記念式典・同窓会発表会等々と花火を打ち上げてのTSフェスティバルを展開した。いま “ゆとりの教育” が提唱されるが、今時の世知辛い教育界では、とても10日間連続興行はできることでない。全職員が総力を結集してよく事に当たった。私も40才代の油ののっていた時、教員生涯で思い出に残っている行事である。その時、同窓会を設立し、同窓会名簿を発刊したのだが、中野君などは何日も学校で徹夜をしたものであった。記念行事の寄付集めに町内はもちろん、町外へも自転車で走った。集まった浄財で、校旗・ピアノ・映写機・親子時計全教室・温室・記念碑等々各種の備品設置ができた。これも今ならとてもできない相談である。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…クラス写真(3年1組)
 ・中…クラス写真(3年2組)
 ・下…クラス写真(3年3組)
 

8/17 今日の高岡中

画像1 画像1
 
お盆休みもいよいよ最終日。やはり楽しい時間が過ぎるのは早いですね。

校内の花木も順調に生長しており、生徒たちの登校を待っているようです。


休日ではありますが、部活動の地域指導者の方の指導が受けられる日ということもあり、早朝から部活動に励んでいる生徒たち。元気いっぱいの様子に一安心です。
明後日の出校日に向けて提出課題の進み具合が気になるところですが…。 きっと大丈夫でしょう!



■ 今日の予定 ―――――
 ・夏季休業:30日目(学校再開まで あと 15日)

<部活動>
 ・女子ハンド  *校内練習



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
画像2 画像2

8/16 今日の高岡中

画像1 画像1
 
校地の東側のフェンスにツルを巻き付けて咲くヘクソカズラ(屁糞葛)。インパクトのある名前のため、一度聞いたら忘れられない植物の一つになると思います。
名前通りの嫌な臭いを放ち、人を寄せ付けないことから、「人嫌い」という花言葉がつけられています。また、「誤解を解きたい」「意外性のある」という花言葉もあり、こちらはその臭いとは裏腹に、かわいらしい筒型の小さな花を咲かせることにちなんでいるそうです。
花の後に付く実は、生や干したものが生薬として古くから利用されています。身を潰したものは、しもやけやあかぎれなどの肌荒れに効果があります。また、根を乾燥させて刻んだものは、腎臓病や下痢止めの作用があるとされています。
私たちの身近な場所に自生するヘクソカズラ。学校以外の場所でも探してみてはいかがでしょうか。


写真下は、昨日の18時ごろ、学校から東の空を撮影したものです。夏らしい雲の下は真っ黒な雲が立ち込めています。雲の下の地域では、キット一雨あったと思います。
よく考えるとこの地域での今年の夏は、落雷や台風などの心配もなく過ぎようとしています。本当にありがたいことですが、これも異常気象のひとつなのでしょうか。
誰もが安心して生活できる世の中、こうした当たり前の日常に感謝したいと思います。



■ 今日の予定 ―――――
 ・夏季休業:29日目(学校再開まで あと 16日)

<部活動>
 ・すべての部活動:活動なし



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
画像2 画像2

8/15 今日の高岡中

画像1 画像1
 
昨日、このHPでユリの花を紹介しました。あちこちでまだ蕾があり、今後も鮮やかな白色の花が咲くのを楽しみにしているところですが、そんな蕾に夏の景色を発見しました(写真上)。「よくぞここで!」といった感じです。
一方、夕方にも夏らしい景色を目にしました(写真下)。夕日に照らされ、赤色に染まる雲がとてもきれいでした。
毎日違って見える光景も夏休みの思い出の一つにしたいものですね。


お盆休みもいよいよ後半に突入。リフレッシュはできているでしょうか?
お盆明けは、夏の疲れが出始める時期ともいわれます。昨日から復活した暑さも含め、もう一度気を引き締めて生活しないと、体調がすぐれない期間が増えてしまいます。
夏休みの終盤、いろいろな意味での頑張り時にしっかりと力を発揮できるよう、このお盆休みにしっかりと疲れを取っておきましょう。



■ 今日の予定 ―――――
 ・夏季休業:28日目(学校再開まで あと 17日)
 *行事や会議を行わない期間(〜15日) 

<部活動>
 ・すべての部活動:活動なし



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
画像2 画像2

8/14 今日の高岡中

画像1 画像1
 
お盆休み、校内の異常個所がないか見回っていると、新たな発見があります。
この時期、ひっそりと咲くユリの花ですが、普段当たり前に見ていた場所での発見は、驚きとうれしさが一気にやって来ます。
写真上は、昭和59年度の校舎増改築の際に当時の父母教師会の役員・理事のみなさんによって立てられた記念碑の前に咲くユリの花です。記念碑だけでなく、このユリにも当時のみなさんの志が宿っているように見えます。
写真下は、ソフトボール場のバックネット裏に咲くユリの群衆です。この夏で長きにわたる活動に幕を閉じたソフト部。歴代部員たちが運動場の改修工事を前に、思い出の場所に感謝を伝えようと集結したようにも見えます。

お盆休み、気持ちがゆったりしている分、みなさんにも新たな発見があるかもしれませんね。



■ 今日の予定 ―――――
 ・夏季休業:27日目(学校再開まで あと 18日)
 *学校閉庁日(〜14日)
 *行事や会議を行わない期間(〜15日) 

<部活動>
 ・すべての部活動:活動なし



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
画像2 画像2

8/13 今日の高岡中

画像1 画像1
 
例年の夏休み、特に部活動が行われなく時期に合わせて勢いを増してくるのが、運動場の雑草。今年は改修工事が入るため、草刈りを見合わせていました。でも、これまでのような勢いがないばかりか、茶色く枯れ始めている場所もあります。異常な暑さとそれまで雨が降らなかったことが原因だと思いますが、改修工事のために準備された重機の存在に気持ちが萎えてしまったようにも見えます。
昨日も工事業者の方が測量を行ってくださいました。お盆休み中というのに本当に頭が下がります。そして、今日も早朝から測量をされている業者の方。生徒たちが思い切り活動できる運動場にしてくださることをお願いするばかりです。


お盆に入ったとたん、スッキリしない天気が続いています。また暑さもこれまでとは違った蒸し暑さを感じます。夏バテにならないよう、体調管理にも気をつけてほしいと思います。



■ 今日の予定 ―――――
 ・夏季休業:26日目(学校再開まで あと 19日)
 *学校閉庁日(〜14日)
 *行事や会議を行わない期間(〜15日) 

<部活動>
 ・すべての部活動:活動なし



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
画像2 画像2

8/12 今日の高岡中

画像1 画像1
 
*昨日は、サーバーメンテナンス作業の影響で、
 学校HPにつながりにくい状況が続きました。
 楽しみにされていたみなさまには、
 大変ご心配をおかけしました。


校内で一番の高さを誇っっていたヒマワリが、その見頃を終えようとしています。これまでの水やりなどを通して生長の様子を知っていると、少し感慨深いものがあります。また、夏休みがずいぶん経過していることを感じるため、いっそう様々な思いがよみがえります。しっかり種を保管し、来年度の楽しみを増やしておこうと思います。
ただ、八重咲のヒマワリは相変わらず衰えておらず、まだ当分は楽しめそうです。元気をくれる夏の花・ヒマワリの記事をあと数回は掲載したいと思います。


本格的なお盆休みがスタートしました。
家族や気の合う仲間と楽しい時間をお過ごしください。



■ 今日の予定 ―――――
 ・夏季休業:25日目(学校再開まで あと 20日)
 *学校閉庁日(〜14日)
 *行事や会議を行わない期間(〜15日) 

<部活動>
 ・すべての部活動:活動なし



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
画像2 画像2

8/11 今日の高岡中

画像1 画像1
 
今日は『山の日』。いろいろ調べてみました ーーー
国民の祝日で、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨があります。他の祝日と異なり、山に関する象徴的な出来事などがあったわけではなく、日本の地形(6〜7割が山地で周りを海に囲まれていること)や1995年に『海の日』が国民の祝日になったこと、山梨県をはじめとした複数の府県で『山の日』ができたことなどから、日本山岳協会を含む山岳団体が中心となり、運動が全国に広がりました。
こうした動きを受け、2014年に制定、2016年に施行となりました。
当初は、祝日のない6月にする案や『海の日』(7月第3月曜日)の翌日にする案などがありましたが、お盆の頃で休暇が取りやすい「8月11日」となりました。一時は、お盆前の「8月12日」が有力でしたが、日航機墜落事故が起きた日と重なることから見直され、「8月11日」に落ち着きました。
そして、「8月11日」は山にまつわる意味もあります。国民の祝日になる前から全国各地に独自の『山の日』があり、その日付けは様々で、「やまなし山の日」「ぎふ山の日」:8月8日、「かがわ山の日」「えひめ山の日」「こうち山の日」:11月11日… というように、「8」と「11」を使う傾向がありました。
これは、「八」の字が山の形に見えること、「11」は木が立ち並ぶイメージがあることから、「山」を連想させる数字と言えます。  (インターネットより)


お盆前の3連休最終日。
朝から雨が降ったりやんだりのスッキリしない天気です。
家でのんびりするもよし、楽しみや涼しさを求めてお出かけするのもよし…。いつもとちょっと違う一日にしてみてはいかがでしょうか。



■ 今日の予定 ―――――
 🎌 山の日
 ・夏季休業:24日目(学校再開まで あと 21日)

<部活動>
 ・すべての部活動:活動なし



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
画像2 画像2

★ シリーズ 高岡中の歴史 18-9

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その18】-1
  *高岡中学校開校14年目
   昭和35年度(1960年〜1961年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,134人(男子:577人 女子:557人)
   教員数:32人

▶ 学校のうごき
 ・4月 飯田鉄雄氏 第3代校長に就任
     台風災害校舎屋根本葺作業
     遠足(1年:広瀬、2年:前浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 中学校・給食開始
     キャンプ(1年:棚山、2年:湯の山)
 ・6月 器楽指導会
 ・8月 郡大会優勝
      バスケット男・女、柔道、バレー男子)
 ・10月 全国学力テスト実施(3年・文科省)
     進学者父兄会、西三大会優勝・県大会3位(柔道)
 ・11月 郡陸上競技大会優勝(陸上男・女)

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 東海ラジオ放送開局
 ・6月 駒場小学校中校舎竣工式
 ・7月 米国売渡推進協議会設置、伊勢神トンネル開通
 ・9月 文化財保護条例公布
 ・10月 大林保育園新築工事完成
     枝下西用水改良工事完成
 ・11月 石川芳次本村長ご逝去
 ・1月 鳥井かね子さん(堤)作の詠進歌選ばれ、
      歌会始めに参列
     荒川板金誘致委員会設置
     高岡町人口:17,887人
 ・2月 交通難緩和のためトヨタ自工時差出勤開始
 ・3月 豊田市制10周年記念式挙行

▶ 日本のできごと
 ・5月 雅樹ちゃん誘拐殺人事件
     チリ津波死者 139人
     グアム島から元日本兵2名帰国
 ・6月 ハガチー事件、新安保条約発効
 ・7月 池田勇人内閣誕生
 ・8月 ローマオリンピック 体操活躍
 ・9月 カラーテレビ本放送開始
 ・10月 浅沼社会党委員長刺殺事件
 ・1月 東日本で豪雪交通マヒ
 ・3月 日光薬師堂焼失

▶ 世界のできごと
 ・4月 反政府デモ・李承晩辞任(韓国)
 ・5月 米U2機撃墜・人工衛星船1号打ち上げ(ソ連)
     チリで大地震
 ・7月 独立国コンゴに軍隊の暴動
 ・8月 ローマオリンピック開催
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・12月 民族解放戦(ベトコン)結成(南ベトナム)
 ・1月 キューバと断交(アメリカ)
 ・2月 金星にロケット打ち上げ(ソ連)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 「黄金の60年」といわれながら、政治的には黒い霧が渦巻いた一年でした。5月26日、安保改正阻止の全国統一行動に東京では17万人もの請願デモが行われ、国会構内突入で樺美智子さんの死亡事件もありました。10月12日には、社会党浅沼委員長が暴漢に刺され、不慮の死をとげました。反面、2月23日、皇太子妃美智子様が浩宮さんをご出産、清宮さまが津島氏とご結婚など、皇室を中心に明るい話題もありました。家庭には電気製品が普及し、ラーメン、コーヒーなどインスタント時代に突入した一年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「思い出」  *第3代 飯田 鉄雄 校長
 戦後、高岡中学校が創立されてから、はや30年を迎えたとのこと、まことにめでたいことと存じます。
 私が赴任したのは、昭和35年4月でございました。初代加藤校長、2代近藤校長の後を受けて赴任し、昭和40年4月に退職するまで、5か年間御世話になりました。その間、いろいろの思い出がございます。校舎建築、図書館活動の全国表彰、各種競技の優勝、毎年来の高校入試の実績等々、いろいろとありますが、中でも私の最も強い印象をもったのは、昭和35年秋の碧海郡内の陸上競技大会にて、わが高岡中学が総合優勝したことであります。あの時の感激は、今でも忘れることはできません。幸い加藤、近藤両校長の教育方針により、施設も整備され、学業においても、大いに実績をあげておりましたので、私のなすべきことは何もございませんでした。ただ、この実績を維持していくにはどうしたらよいのか、全然自信はございませんでした。
 これらの実績を維持していくには、体づくりであり、根性づくりであると思いました。私は、かねてから、知徳体の三位一体の教育が理想であると考えていました。強健なる身体と強い意志の力の裏付けの上に築かれた知徳の教育こそ、真の教育であると思っていました。
 まず、こうしたことを先生方にお話し申し上げ、御理解と協力を願い、クラブ活動(特に体育クラブ)の実践を推進していただきました。こうした先生方の涙ぐましいばかりの努力による実績でありましたので、その感激もひとしおであり、力強い自信と明るい希望を持つことができました。
 幸い、高岡町は、教育委員会をはじめ町全体(PTAを含めて)が、後継者づくりに熱心であり、寛容と理解のある町でございましたので、思い切ったことを実行することができました。この優勝による自信が、その後の数々の実績を産んだともいえましょう。
 私の生涯を通じ、最も充実した時期であり、楽しい思い出の多い5か年でございました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…活躍する部活動(陸上競技部)
 ・中…活躍する部活動(バレー部 男・女)
 ・下…活躍する部活動(バスケット部 男・女)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 18-8

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その18】-8
  *高岡中学校開校14年目
   昭和35年度(1960年〜1961年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,134人(男子:577人 女子:557人)
   教員数:32人

▶ 学校のうごき
 ・4月 飯田鉄雄氏 第3代校長に就任
     台風災害校舎屋根本葺作業
     遠足(1年:広瀬、2年:前浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 中学校・給食開始
     キャンプ(1年:棚山、2年:湯の山)
 ・6月 器楽指導会
 ・8月 郡大会優勝
      バスケット男・女、柔道、バレー男子)
 ・10月 全国学力テスト実施(3年・文科省)
     進学者父兄会、西三大会優勝・県大会3位(柔道)
 ・11月 郡陸上競技大会優勝(陸上男・女)

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 東海ラジオ放送開局
 ・6月 駒場小学校中校舎竣工式
 ・7月 米国売渡推進協議会設置、伊勢神トンネル開通
 ・9月 文化財保護条例公布
 ・10月 大林保育園新築工事完成
     枝下西用水改良工事完成
 ・11月 石川芳次本村長ご逝去
 ・1月 鳥井かね子さん(堤)作の詠進歌選ばれ、
      歌会始めに参列
     荒川板金誘致委員会設置
     高岡町人口:17,887人
 ・2月 交通難緩和のためトヨタ自工時差出勤開始
 ・3月 豊田市制10周年記念式挙行

▶ 日本のできごと
 ・5月 雅樹ちゃん誘拐殺人事件
     チリ津波死者 139人
     グアム島から元日本兵2名帰国
 ・6月 ハガチー事件、新安保条約発効
 ・7月 池田勇人内閣誕生
 ・8月 ローマオリンピック 体操活躍
 ・9月 カラーテレビ本放送開始
 ・10月 浅沼社会党委員長刺殺事件
 ・1月 東日本で豪雪交通マヒ
 ・3月 日光薬師堂焼失

▶ 世界のできごと
 ・4月 反政府デモ・李承晩辞任(韓国)
 ・5月 米U2機撃墜・人工衛星船1号打ち上げ(ソ連)
     チリで大地震
 ・7月 独立国コンゴに軍隊の暴動
 ・8月 ローマオリンピック開催
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・12月 民族解放戦(ベトコン)結成(南ベトナム)
 ・1月 キューバと断交(アメリカ)
 ・2月 金星にロケット打ち上げ(ソ連)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 「黄金の60年」といわれながら、政治的には黒い霧が渦巻いた一年でした。5月26日、安保改正阻止の全国統一行動に東京では17万人もの請願デモが行われ、国会構内突入で樺美智子さんの死亡事件もありました。10月12日には、社会党浅沼委員長が暴漢に刺され、不慮の死をとげました。反面、2月23日、皇太子妃美智子様が浩宮さんをご出産、清宮さまが津島氏とご結婚など、皇室を中心に明るい話題もありました。家庭には電気製品が普及し、ラーメン、コーヒーなどインスタント時代に突入した一年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「思い出」  *第3代 飯田 鉄雄 校長
 戦後、高岡中学校が創立されてから、はや30年を迎えたとのこと、まことにめでたいことと存じます。
 私が赴任したのは、昭和35年4月でございました。初代加藤校長、2代近藤校長の後を受けて赴任し、昭和40年4月に退職するまで、5か年間御世話になりました。その間、いろいろの思い出がございます。校舎建築、図書館活動の全国表彰、各種競技の優勝、毎年来の高校入試の実績等々、いろいろとありますが、中でも私の最も強い印象をもったのは、昭和35年秋の碧海郡内の陸上競技大会にて、わが高岡中学が総合優勝したことであります。あの時の感激は、今でも忘れることはできません。幸い加藤、近藤両校長の教育方針により、施設も整備され、学業においても、大いに実績をあげておりましたので、私のなすべきことは何もございませんでした。ただ、この実績を維持していくにはどうしたらよいのか、全然自信はございませんでした。
 これらの実績を維持していくには、体づくりであり、根性づくりであると思いました。私は、かねてから、知徳体の三位一体の教育が理想であると考えていました。強健なる身体と強い意志の力の裏付けの上に築かれた知徳の教育こそ、真の教育であると思っていました。
 まず、こうしたことを先生方にお話し申し上げ、御理解と協力を願い、クラブ活動(特に体育クラブ)の実践を推進していただきました。こうした先生方の涙ぐましいばかりの努力による実績でありましたので、その感激もひとしおであり、力強い自信と明るい希望を持つことができました。
 幸い、高岡町は、教育委員会をはじめ町全体(PTAを含めて)が、後継者づくりに熱心であり、寛容と理解のある町でございましたので、思い切ったことを実行することができました。この優勝による自信が、その後の数々の実績を産んだともいえましょう。
 私の生涯を通じ、最も充実した時期であり、楽しい思い出の多い5か年でございました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…購売部
 ・中…テラスで読書を楽しむ(新聞切り抜き)
 ・下…卒業記念品(13インチテレビ)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 18-7

画像1 画像1
画像2 画像2
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その18】-7
  *高岡中学校開校14年目
   昭和35年度(1960年〜1961年)
   校長:飯田 鉄雄 校長(第3代)
   生徒数:1,134人(男子:577人 女子:557人)
   教員数:32人

▶ 学校のうごき
 ・4月 飯田鉄雄氏 第3代校長に就任
     台風災害校舎屋根本葺作業
     遠足(1年:広瀬、2年:前浜)
     修学旅行(3年:関東方面)
 ・5月 中学校・給食開始
     キャンプ(1年:棚山、2年:湯の山)
 ・6月 器楽指導会
 ・8月 郡大会優勝
      バスケット男・女、柔道、バレー男子)
 ・10月 全国学力テスト実施(3年・文科省)
     進学者父兄会、西三大会優勝・県大会3位(柔道)
 ・11月 郡陸上競技大会優勝(陸上男・女)

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 東海ラジオ放送開局
 ・6月 駒場小学校中校舎竣工式
 ・7月 米国売渡推進協議会設置、伊勢神トンネル開通
 ・9月 文化財保護条例公布
 ・10月 大林保育園新築工事完成
     枝下西用水改良工事完成
 ・11月 石川芳次本村長ご逝去
 ・1月 鳥井かね子さん(堤)作の詠進歌選ばれ、
      歌会始めに参列
     荒川板金誘致委員会設置
     高岡町人口:17,887人
 ・2月 交通難緩和のためトヨタ自工時差出勤開始
 ・3月 豊田市制10周年記念式挙行

▶ 日本のできごと
 ・5月 雅樹ちゃん誘拐殺人事件
     チリ津波死者 139人
     グアム島から元日本兵2名帰国
 ・6月 ハガチー事件、新安保条約発効
 ・7月 池田勇人内閣誕生
 ・8月 ローマオリンピック 体操活躍
 ・9月 カラーテレビ本放送開始
 ・10月 浅沼社会党委員長刺殺事件
 ・1月 東日本で豪雪交通マヒ
 ・3月 日光薬師堂焼失

▶ 世界のできごと
 ・4月 反政府デモ・李承晩辞任(韓国)
 ・5月 米U2機撃墜・人工衛星船1号打ち上げ(ソ連)
     チリで大地震
 ・7月 独立国コンゴに軍隊の暴動
 ・8月 ローマオリンピック開催
 ・11月 ケネディ氏大統領に当選(アメリカ)
 ・12月 民族解放戦(ベトコン)結成(南ベトナム)
 ・1月 キューバと断交(アメリカ)
 ・2月 金星にロケット打ち上げ(ソ連)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 「黄金の60年」といわれながら、政治的には黒い霧が渦巻いた一年でした。5月26日、安保改正阻止の全国統一行動に東京では17万人もの請願デモが行われ、国会構内突入で樺美智子さんの死亡事件もありました。10月12日には、社会党浅沼委員長が暴漢に刺され、不慮の死をとげました。反面、2月23日、皇太子妃美智子様が浩宮さんをご出産、清宮さまが津島氏とご結婚など、皇室を中心に明るい話題もありました。家庭には電気製品が普及し、ラーメン、コーヒーなどインスタント時代に突入した一年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「思い出」  *第3代 飯田 鉄雄 校長
 戦後、高岡中学校が創立されてから、はや30年を迎えたとのこと、まことにめでたいことと存じます。
 私が赴任したのは、昭和35年4月でございました。初代加藤校長、2代近藤校長の後を受けて赴任し、昭和40年4月に退職するまで、5か年間御世話になりました。その間、いろいろの思い出がございます。校舎建築、図書館活動の全国表彰、各種競技の優勝、毎年来の高校入試の実績等々、いろいろとありますが、中でも私の最も強い印象をもったのは、昭和35年秋の碧海郡内の陸上競技大会にて、わが高岡中学が総合優勝したことであります。あの時の感激は、今でも忘れることはできません。幸い加藤、近藤両校長の教育方針により、施設も整備され、学業においても、大いに実績をあげておりましたので、私のなすべきことは何もございませんでした。ただ、この実績を維持していくにはどうしたらよいのか、全然自信はございませんでした。
 これらの実績を維持していくには、体づくりであり、根性づくりであると思いました。私は、かねてから、知徳体の三位一体の教育が理想であると考えていました。強健なる身体と強い意志の力の裏付けの上に築かれた知徳の教育こそ、真の教育であると思っていました。
 まず、こうしたことを先生方にお話し申し上げ、御理解と協力を願い、クラブ活動(特に体育クラブ)の実践を推進していただきました。こうした先生方の涙ぐましいばかりの努力による実績でありましたので、その感激もひとしおであり、力強い自信と明るい希望を持つことができました。
 幸い、高岡町は、教育委員会をはじめ町全体(PTAを含めて)が、後継者づくりに熱心であり、寛容と理解のある町でございましたので、思い切ったことを実行することができました。この優勝による自信が、その後の数々の実績を産んだともいえましょう。
 私の生涯を通じ、最も充実した時期であり、楽しい思い出の多い5か年でございました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…学校田の田植え
 ・下…農業クラブによる稲の脱穀
 
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
学校行事
9/15 ★ 敬老の日
9/18 ハピクロ

学校だより

学年通信

保健だより

特色ある学校づくり推進事業

PTA

その他

災害時の対応

いじめ防止基本方針