高中生の学習や活動の様子など、旬の情報をお届けします! どうぞ、ご覧ください。

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-10

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令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-10
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…クラス写真(3年7組)
 ・中…クラス写真(3年8組)
 ・下…クラス写真(3年9組)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-9

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令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-9
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…学校生活の様子1
 ・下…学校生活の様子2
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-8

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令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-8
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…栄光の記録(バスケ男子)*西三大会優勝
 ・下…栄光の記録(卓球女子)*郡大会優勝
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-7

画像1 画像1
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画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-7
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…遠足の様子(洲原池)
 ・中…校内作品展
 ・下…社会見学のひとコマ
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-6

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画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-6
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より


 
▶ 掲載写真の紹介
 ・上…クラス写真(3年4組)
 ・中…クラス写真(3年5組)
 ・下…クラス写真(3年6組)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-5

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-5
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…立派に完成した新体育館
 ・中…新体育館建設のニュース(「広報たかおか」より)
 ・下…新体育館ができて初めての卒業式
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-4

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-4
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…新体育館の工事1(鉄骨組み)
 ・中…新体育館の工事2(コンクリート打ち)
 ・下…新体育館の工事3
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-3

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-3
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…新体育館地鎮祭
 ・中…新体育館の見取り図
 ・下…新体育館建設工事開始
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-2

画像1 画像1
画像2 画像2
画像3 画像3
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-2
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…クラス写真(3年1組)
 ・中…クラス写真(3年2組)
 ・下…クラス写真(3年3組)
 

★ シリーズ 高岡中の歴史 23-1

画像1 画像1
画像2 画像2
 
令和8年度に創立80年を迎える本校。
これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。


■ 高岡中の歴史 【その23】-1
  *高岡中学校開校19年目
   昭和40年度(1965年〜1966年)
   校長:神谷 清一 校長(第4代)
   生徒数:1,139人(男子:584人 女子:555人)
   教員数:37人

▶ 学校のうごき
 ・4月 神谷 清一氏 第4代校長に就任
 ・5月 遠足(1,2年)*蒲郡塩塚海岸貝拾い
     修学旅行(3年)
 ・6月 全国学力テスト実施
 ・7月 体育館起工式、地鎮祭
     郡大会優勝
      *ソフト、バレー女子、バスケ男女、柔道
 ・9月 指紋登録(3年)、人形劇鑑賞、糸あやつり鏡
 ・10月 市文教委員巡視、市内小中陸上競技会
 ・11月 県施設課体育館視察
 ・12月 地区補導会結成総会
 ・2月 体育館開館式

▶ 地域のうつりかわり
 ・4月 豊田市民センター竣工
     市・町両議会合併に決定
     市花に「ひまわり」を制定
 ・6月 佞臣高速道路全通、東名高速道路豊田工区着工
 ・7月 市体育館建設起工式
 ・8月 国鉄岡多線着工、デトロイト市交歓学生来豊
     広報「たかおか」最終号(70号)で市広報に
     高岡町閉町式
 ・9月 豊田市に合併、住所変更、旧町名廃止


▶ 日本のできごと
 ・4月 吹原産業融資問題、政界の黒い霧
 ・6月 日韓条約成立
 ・7月 河野一郎、池田勇人相次ぎ死去、沖縄復帰
     参院選東京地方区で自民党全滅
 ・8月 松代町で地震連続
 ・10月 朝永振一郎氏ノーベル物理学賞受
 ・11月 美智子妃殿下男子出生
 ・1月 日ソ航空協定調印
 ・2月 全日空機東京湾に墜落 133人死亡
     早大学園紛争

▶ 世界のできごと
 ・4月 米機北爆開始
 ・7月 米大統領南ベトナム増兵を発表
     国連で三軍縮決議可決
 ・11月 ローデシア独立宣言
 ・12月 ジェミニ6・7号
      初の宇宙ランデブー成功(アメリカ)
 ・1月 ベトナム和平で14項目の覚書発表
 ・2月 ベトナム安保理事開催
     ガーナにクーデター
     ルナ9号月面軟着陸に成功(ソ連)
 ・3月 総選挙労働党圧勝(イギリス・ウィルソン首相)


▶▶ 時代の概観 ▶▶
 エレキギター、エレキバンドが10代の少年の間で大流行し、ひざ上10センチ以上のミニスカートが登場。男性の目を楽しませてくれました。慶応元年から数えて100年。太平洋戦争後満20年を迎えて、新年早々「今年から紀元節を行いたい」と訓辞した知事も出現しました。どうやら復古調ムード。しかし、天候は不順で、4月ごろ各地で低温記録が続出しました。東京でも明治35年来の雪がちらつきました。政界では河野一郎氏、池田勇人氏と相次いで亡くなったのもこの年でした。


 この年に関わる方が残した記録を紹介します。

「高岡町から豊田市へ」  *第2代校長 神谷 清一 氏
 町会議による豊田市合併決議の日から、その日が来ることは予想をし覚悟はしていたものの、さて9月1日の朝「豊田市立高岡中学校」という門標を見たときは、まことに感慨無量なるものがありました。
 私たちにとってこの地は、もの心ついたころから高岡村であり、高岡町であり、それは碧海郡の最北端で常に南を向いて話をし、物を見たり考えるように慣れてきた、長い長い教育社会の中で育った者が、急に北を向いて相手と手を握り合うことになったのだから、誰もが大きな戸惑いと不安を感じたのも当然のことだと思います。
 いざ合併してみると、まるで嫁入りした娘の立場のようなもので、相手からはいろいろ親切にされ気を遣ってもらいながら、むやみと古い生家の時代が懐かしく思い出され、現実のむなしさがやり切れなく、不平不満の声もあちこちで聞くことも度々でした。
 何しろ、人と人とのつながりが不十分のところへもってきて、すべての面でやり方や考え方に食い違いが多かったものだから、止むを得ませんでした。何事によらず、今までが極めて家族的であり、素朴であり、形式よりも実質を重んずる農村型であったものが、急に都市型の教育社会の仲間入りをしたものだから、多少の摩擦を生じ不快音の生じたのも自然のなりゆきでしょう。
 しかし、そうした経過をたどりながらも、創立以来の長い歴史と伝統に培われ、積み重ねて来られた本校の教育へのとりくみ方が決して間違っていなかった、いや実にりっぱなものであったことが、いろいろな面で次々と証明されたことは、大きな喜びであり、強い自信を持つことができました。特に、若い先生方の教育に注ぐ純粋な情熱のすばらしさ、この先生方に全幅の信頼と協力を惜しまぬ父兄の姿、その両者の熱と愛情の中で真剣に勉強にとりくむ生徒の成績は、常に地域のトップグループに入っていたことはご承知のとおりです。地方新聞にも、名門校という名称で記事にされたことも度々ありました。
 こうした事実があればこそ、少しも新参者としてのひけ目を持つこともなく、むしろ大きな誇りと自信を持って新しい地域に仲間入りができ、豊田市教育に有効なよい刺激と貢献ができたことは、たいへん愉快でありました。


   *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より



▶ 掲載写真の紹介
 ・上…第4代 神谷清一校長
 ・下…高岡町と豊田市の合併(「広報たかおか」より)
 

9/14 今日の高岡中

画像1 画像1
 
3連休の中日。朝からどんよりとした空模様で、湿度も少し高め。今年はあまり印象に残っていませんが、梅雨の時期のような感じです。

適量の雨は、植物にとって恵みの雨。
校内を見回ってみると、1棟南の植え込みに小さな花を見つけました。キンカンの花です(写真上)。しかしよく見ると、ほかの枝には実がついたままです(写真下)。一般的に同時に見ることはできないはずですが、前シーズンの実が落ちなかったため、奇跡的にこのような光景に出くわすことができたようです。
何かいいことが起こりそうな予感です。。。


部活動の秋の大会(新人大会)に向けて、どの部活も活動に熱が入っているようです。まずは新チームでの最初の大会で、今の自分や仲間の力、チームとしての力を確認し、今後のチームづくりに役立ててほしいと思います。



 今日もステキな一日になりますように・・・
 
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9/13 休日の部活動 〜男子ハンド〜 5

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

男子ハンドボール部の活動の様子です。
ゲーム形式のメニューを中心に活動していました。ビブスを着て、コートでプレーすることを喜んでいた1年生の笑顔が印象的でした。

間もなく、新チームでの最初の大会を迎えます。
 

9/13 休日の部活動 〜男子ハンド〜 4

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

男子ハンドボール部の活動の様子です。
ゲーム形式のメニューを中心に活動していました。ビブスを着て、コートでプレーすることを喜んでいた1年生の笑顔が印象的でした。

間もなく、新チームでの最初の大会を迎えます。
 

9/13 休日の部活動 〜男子ハンド〜 3

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

男子ハンドボール部の活動の様子です。
ゲーム形式のメニューを中心に活動していました。ビブスを着て、コートでプレーすることを喜んでいた1年生の笑顔が印象的でした。

間もなく、新チームでの最初の大会を迎えます。
 

9/13 休日の部活動 〜男子ハンド〜 2

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

男子ハンドボール部の活動の様子です。
ゲーム形式のメニューを中心に活動していました。ビブスを着て、コートでプレーすることを喜んでいた1年生の笑顔が印象的でした。

間もなく、新チームでの最初の大会を迎えます。
 

9/13 休日の部活動 〜男子ハンド〜 1

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

男子ハンドボール部の活動の様子です。
ゲーム形式のメニューを中心に活動していました。ビブスを着て、コートでプレーすることを喜んでいた1年生の笑顔が印象的でした。

間もなく、新チームでの最初の大会を迎えます。
 

9/13 休日も…

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休日ではありましたが、今日も運動場の改修工事が行われました。
途中激しい雨に見舞われましたが、中断することなく作業は続けられていました。

いくつもできた削られた砂の山が、どんどん高くなっていきます。
 

9/13 休日の部活動 〜吹奏楽〜 4

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

吹奏楽部の活動の様子です。
楽器ごとに先輩が後輩たちの指導を行いながら練習に励んでいました。
 

9/13 休日の部活動 〜吹奏楽〜 3

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

吹奏楽部の活動の様子です。
楽器ごとに先輩が後輩たちの指導を行いながら練習に励んでいました。
 

9/13 休日の部活動 〜吹奏楽〜 2

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3連休初日の部活動の様子をお届けします。

吹奏楽部の活動の様子です。
楽器ごとに先輩が後輩たちの指導を行いながら練習に励んでいました。
 
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