| ★シリーズ 高岡中の歴史 26-12        令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-12 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…文化祭(先生たちによるコーラス) ・下…文化祭(生徒特別出演) ★シリーズ 高岡中の歴史 26-11            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-11 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…卒業記念「応援歌の碑」 ・中…高岡中学校応援歌 ・下…市教委より研究指定を受ける ★シリーズ 高岡中の歴史 26-10        令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-10 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…体育大会(学級旗初登場) ・下…社会見学(熱田神宮にて) ★シリーズ 高岡中の歴史 26-9            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-9 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…クラス写真(3年7組) ・中…クラス写真(3年8組) ・下…クラス写真(3年9組) ★シリーズ 高岡中の歴史 26-8            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-8 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…PTA奉仕作業1 ・中…PTA奉仕作業2 ・下…高岡町誌編集 ★シリーズ 高岡中の歴史 26-7            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-7 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…高岡歩道橋完成 ・中…歩道橋渡り初め式 ・下…豊田ライオンズクラブ 善行表彰 ★シリーズ 高岡中の歴史 26-6            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-6 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…学校生活のひとコマ・写生大会 ・中…学校生活のひとコマ・清掃の様子 ・下…学校生活のひとコマ・下校の様子 ★シリーズ 高岡中の歴史 26-5            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-5 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…クラス写真(3年4組) ・中…クラス写真(3年5組) ・下…クラス写真(3年6組) ★シリーズ 高岡中の歴史 26-4        令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-4 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…ソフトボール用バックネット完成 ・下…自転車置場一部完成 ★シリーズ 高岡中の歴史 26-3            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-3 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…学校生活のひとコマ・生徒議会 ・中…学校生活のひとコマ・委員会活動 ・下…学校生活のひとコマ・スコッチテープはり ★シリーズ 高岡中の歴史 26-2        令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-2 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…新校舎(第2棟)建設・工事の様子 ・下…新校舎(第2棟)建設・地鎮祭 ★シリーズ 高岡中の歴史 26-1            令和8年度に創立80年を迎える本校。 これまでの歴史を振り返りつつ、これからの高岡中学校の発展に向けて一緒に考えていけたら幸いです。 ■ 高岡中の歴史 【その26】-1 *高岡中学校開校22年目 昭和43年度(1968年〜1969年) 校長:神谷 清一 校長(第4代) 生徒数:1,083人(男子:552人 女子:537人) 教員数:42人 ▶ 学校のうごき ・6月 学習指導研究会 ・7月 運動場西側側溝完成、ヘルメット販売 ・9月 講演会:第7次南極越冬隊員六嶺咲年氏 ソフトボールバックネット完成 PTA優良校視察(知多・横須賀中) ・10月 明治100年記念式典 現第2棟起工式(普通教室4、家庭科室、調理室) 体育館への渡り完成 ・11月 遠足 1年:水源、2年:祐福寺、3年:三好池 ・1月 テニスコートフェンス一部完成 ・3月 歩道橋渡り初め式 ▶ 地域のうつりかわり ・4月 市政映画「のびゆく豊田市」完成 ・5月 県民の森着工、豊川用水 ・7月 青年センター竣工 ・8月 デトロイト市から交換学生来豊 ・9月 白浜公園一部オープン ・10月 知多半島道路着工、鞍ヶ池ロッジ起工式 大林小学校体育館起工 ・12月 高岡地区新町名実施 ▶ 日本のできごと ・4月 霞が関ビル完成、東名高速道路一部開通 ・5月 十勝沖地震 死者50名 ・6月 小笠原諸島復帰 ・8月 初の心臓移植手術、飛騨川バス転落事故 ・10月 明治100年記念式典 ・12月 3億円事件 ・2月 日ソ航空交渉妥結調印 ・3月 八幡・富士製鉄大型合併 ▶ 世界のできごと ・5月 パリを揺るがす学生デモ パリ和平会議(ベトナム問題) ・6月 ロバート・ケネディ上院議員暗殺(アメリカ) ・8月 プラハに侵入したソ連軍に抵抗(チェコ) ・9月 中国革命委員会 全国に成立 ・10月 メキシコ五輪(第19回) ・11月 ニクソン氏大統領選勝利(アメリカ) ・12月 アポロ8号月旅行(アメリカ) ・3月 東部中ソ国境で両軍衝突 ▶▶ 時代の概観 ▶▶ 12月10日、東京府中市の路上で白バイ隊員を装った… といえば、誰もが思い出す3億円事件。その他にも、東京五輪で活躍した円谷選手の自殺、金嬉老のライフル銃札事件、横須賀電車内の時限装置爆発事件、飛騨川バス転落事故と、「昭和元禄」と騒がれた裏に暗いことの続いた年でした。 また、本年は明治元年よりかぞえて100年目に当たりました。 この年に関わる方が残した記録を紹介します。 「思い出されること」 *昭和43年度卒業生 在校生の拍手に送られ、校門を出てもう8年も経ってしまった。トレパンに学生服、坊主頭にヘルメット、グリーンアップシューズをはき、自転車で登下校していた高中時代を思い出してみると、懐かしさとともによくしごかれたことが印象に残っている。朝は「朝の学習」といってテスト、帰りは「ポイント学習」といって基学やハイコーチ。1日が30時間にも感じられる毎日だった。そして、家庭学習実行表に毎日の勉強時間を記入。少しでもさぼると、「それで、天下の高中か」と、しかられた。今、思っても苦しかったけれど、若かったからついていけたと自分自身感心している。 また、5月の駅伝大会、1月の校内マラソン大会、クラブ対抗駅伝とよく走ったものだった。走る前の緊張感、走っている時の苦しさ、走り終わった時の充実感は最高だった。道路も今とは違っていて、田んぼのあぜ道とかジャリ道で、風が吹けば砂ぼこり。雨が降れば水たまりと変化に富んでいた。そして、9月の体育大会。各競技出場のための猛練習、仮装行列の衣装づくり、応援の練習と朝早くから日曜日も返上して準備した。 生徒会活動では、「プリキュー運動」「T・S・K」と全校一丸となって取り組んだ。何でもいいから1日に一つ善いことをしようというスローガンで、ゴミを拾ったり、草を取ったり奉仕活動を始めた。そのあとの爽快感も最高だった。 最後に、8年経った自分をみて、高中で学んだ知識・忍耐力・公共心がその後の人生の役に立っていることに気付く。「若い時の苦労はかってでもしろ」ということばがある。高中で苦しんだことがそのまま生きる力となって現在に至っていると思う。 今後も、高岡中学校が大きく飛躍・発展し、文字通り「天下の高中」を守り続けることを願ってやまないのである。 *『高岡中学校 創立30周年記念誌』より ▶ 掲載写真の紹介 ・上…クラス写真(3年1組) ・中…クラス写真(3年2組) ・下…クラス写真(3年3組) 10/5 今日の高岡中            改修工事が行われている今日の運動場の様子です。 あれだけ高く積まれていた砂の山はなくなり、元の運動場の様子が戻りつつあります。ただ、これまでと違うのは、雨の翌朝だというのに水溜りが一つもできていません。この様子に感激しています(きちんと並んでいる重機の様子にも…)。 今後は、野球場やサッカー場、トラックのポイントなどが正確に打たれていく予定です。完成間近と言ったところです。 今日もステキな一日になりますように・・・ 10/4 3-4 学診を終えて 3            昨日の3年4組の英語の授業の様子です。 10/4 3-4 学診を終えて 2            昨日の3年4組の英語の授業の様子です。 10/4 3-3 学診を終えて 1            昨日の3年4組の英語の授業の様子です。 10/4 2-1 中国・四国地方の産業 3        昨日の2年1組の社会・地理分野の授業の様子です。 「中国・四国地方では、どのような産業が発達しているだろう」をテーマに学習が進められていました。 10/4 2-1 中国・四国地方の産業 2            昨日の2年1組の社会・地理分野の授業の様子です。 「中国・四国地方では、どのような産業が発達しているだろう」をテーマに学習が進められていました。 10/4 2-1 中国・四国地方の産業 1            昨日の2年1組の社会・地理分野の授業の様子です。 「中国・四国地方では、どのような産業が発達しているだろう」をテーマに学習が進められていました。 10/4 3-3 変域を求める 4            昨日の3年3組の数学の授業の様子です。 二次関数の学習で、「yの変域を求めよう」をテーマに演習問題を通して、仲間と解き方の確認を行っていました。 | 
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