少しずつ気温が上がっています。児童は毎日、学校の活動に前向きに取り組んでいます。豊田市立伊保小学校は、令和6年度に創立150周年記念式典(仮)を行います。

民生委員・主任児童委員の皆さんによるあいさつ運動(1/7)

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 1月7日の登校時、とても寒い中、校門であいさつ運動をしてくださいました。冬休み明けですが、元気にあいさつできる子がたくさんいました。
 1月の生活目標は「元気なあいさつ 明るいえがお」です。学校でもあいさつの大切さについて話をしていますが、ご家庭でも元気にあいさつできる習慣づくりを進めてくださいますようお願いいたします。

雪の日(12/18)

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 この冬、初の積雪でした。子どもたちは大喜びで遊んでいました。

お汁粉の会(12/11)

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 地域の皆さんのご支援により、お汁粉の会を開催しました。お餅をついていただき、つきたてのお餅を豆から煮ていただいたお汁粉に入れて、全校のみんなでおいしく、楽しくいただきました。手作りのお漬け物もおいしくて、何杯もおかわりする子がたくさんいました。
 本来ならば、持久走大会を終えたあとにご褒美としていただくところでしたが、あいにくの雨で持久走大会が延期になり、「明日の持久走大会をがんばるための元気をつける」という目的に変更して、この会を実施しました。
 明日の持久走大会では、全員が力一杯走ってくれることと、大いに期待しています。

 地域の皆様には、本校の児童のためにお骨折りをいただきました。この場をお借りして、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

「学校の歴史」 昭和30年代

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昭和31年 井戸の新築をする。
昭和33年 校地を134坪に拡張する。
昭和34年 伊勢湾台風来襲し、校舎内外の被害甚大となる。
      児童の家庭の被害 家屋全壊43名、半壊44名、学校の屋根瓦2,400枚被害
昭和36年 養護教諭赴任する。男女ともスモックを着用する。
      第2室戸台風のため、学校休業となる。
昭和38年 給食室を新築する。理科室にテレビをつける。PTA廃品回収を行う。

  ・・・その9に続く

写真は、「伊勢湾台風で壊れた木製バックネット」と「第2室戸台風の被害の修理」です。

・関連記事はこちら→。<swa:ContentLink type="doc" item="49048">学校だより31号(12/10)</swa:ContentLink>



人権移動教室(11/26) 「人権擁護委員」のみなさん

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 法務省から任命されている人権擁護委員の皆さんが、伊保小で「人権移動教室」を開いてくださいました。人権擁護委員の皆さんは、人権相談や人権侵犯への救済、人権意識の啓発活動をすすめてみえる方々です。
 今回は小学校の中・低学年向けの人権の啓発活動でした。動物の人形を使った人権侵害に関する人形劇やデジタル紙芝居「うさぎとカメのその後」など、子どもたちの興味を引くような教材を準備していただき、「人権」という難しい内容を、子どもたちにも分かりやすく教えていただきました。そして、最後に2つの約束をしました。
約束1「自分が言われていやなことは言わない」
約束2「自分が言われてうれしいことは言ってあげる」

 伊保小学校が、子どもたち一人一人にとって安心して過ごせ、力一杯勉強や運動に取り組めるような学校になるよう、しっかりと取り組んでいきたいと思います。
 人権擁護委員の皆さん、どうもありがとうございました。


開校140周年(歴史紹介6)

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「学校の歴史」 戦後復興期    

昭和21年 文部省「新教育指針」を発布する。墨塗り教科書が使用される。
      進駐軍による本校視察がある。 男女共学となる。 
昭和22年 教育基本法公布。
      修身、国史、歴史に変わって、社会科と道徳が新設される。
      6・3制発足。本校は保見村立東部小学校となる。
      また、保見村立保見中学校開校。
昭和23年 給食室が竣工し、学校給食研究発表会を行う。
昭和24年 給食優良校として表彰を受ける。
      6年生修学旅行で名古屋見学に出かける。
      学校資金募金のど自慢大会をPTAで開催する。
昭和25年 6年生、奈良・京都方面へ修学旅行に出かける。
      藤棚の大修理とバックネットの建設をする。
昭和26年 伊保小校歌が制定される。 完全給食始まる。
      新校舎が完成する。(写真)
昭和28年 玉津浦へ臨海実習に出かける。
昭和29年 豊橋博覧会へ春の遠足をする。
昭和30年 新猿投町合併祝賀会を行う。校名が猿投村立伊保小学校となる。
・・・その7に続く

5年生 家庭科の学習(11/19)

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 5年生の家庭科でミシンを使って学習をしています。地域の交流館で活動されている手芸サークルの皆さんが、ミシンの学習の講師として児童の学習支援をしてくださいました。こどもたちにとってよい学びとなりました。ありがとうございました。

学芸会(11/15)

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 「感動・楽しさ・熱い思い これがみんなの学芸会!!」のテーマを掲げて、学芸会では、一人一人が一生懸命がんばりました。保護者、地域の皆様には、寒い中にもかかわらず熱心にご覧いただき、また温かいご声援をいただき、ありがとうございました。子どもたちにとっても、大いに励みとなりました。学芸会を通して身に付けた、みんなの前で堂々と表現することや、みんなと心を合わせて歌うことなどを、今後の学習や生活で生かすことで、さらに一人一人の能力を高めることにつながると思います。今後の子どもたちの活躍に期待しています。

開校140周年(歴史紹介6)

太平洋戦争の頃の伊保小学校の様子を、学校だよりに掲載しました。ぜひ、ご覧ください。
<swa:ContentLink type="doc" item="48079">学校だより26号(11/5)</swa:ContentLink>

開校140周年(歴史紹介5)

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「学校の歴史」 昭和11年〜20年
 ※写真はこのころの学校

昭和11年 全児童に給食開始
昭和12年 少年消防隊が組織される。
昭和13年 少年消防隊のポンプ来る。
昭和14年 東久邇宮殿下、伊保原飛行場を視察される。児童、奉送迎をする。
昭和15年 防空訓練を実施する。
昭和16年 保見村東部国民学校と校名を変更する。
      初等科4年生以上が、航空隊へ勤労奉仕に出かける。
      太平洋戦争勃発。
昭和17年 空襲警報発令し、小使いさん水死する。 
      保見青年学校独立する。
昭和18年 校舎の屋根の葺き換えを行う。各字より人夫を供出する。
昭和20年 広島・長崎に原爆が落ち、終戦を迎える。「学校の歴史」昭和9年まで

 関連<swa:ContentLink type="doc" item="47690">学校だより25号(10/29)</swa:ContentLink>  ・・・その6に続く

開校140周年(歴史紹介4)

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「学校の歴史」昭和9年まで

 昭和2年 アメリカより青い目の人形を受領する。 
 昭和3年 1週間の養蚕(ようさん)休暇、4日間の田植え休暇を取る。
  ※ 養蚕とはカイコを卵から育てて繭(まゆ)を取ること。繭は絹糸になります。
  ※ 水痘(水ぼうそう)が流行し、低学年は出席停止となる。(今の学級閉鎖か?)
 昭和5年 西加茂郡主催 珠算競技会で優秀な成績を得る。
 昭和6年 角力大会に選手を派遣し、4等を獲得する。
 昭和7年 陸軍大佐の軍事講演会を開催する。
 昭和8年 「サイタ サイタ サクラガ サイタ」で始まる色刷りの国定教科書の使用が始まる。
 昭和9年 三河各町村巡回装甲自動車を参観する。
 昭和10年 二宮金次郎の石像がたてられる。(写真)

 関連<swa:ContentLink type="doc" item="47532">学校だより24号(10/22)</swa:ContentLink>

  ・・・その5に続く

6年生と校長先生との面談(10/15)

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 6年生も卒業まであと5ヶ月あまりとなりました。6年生には中学生になるための準備を進めて欲しいという願いを込めて、校長先生と6年生の個人面談が始まりました。前期にがんばったことや後期の目標を話しあう中で、学校生活に対する意欲をさらに高めて欲しいと願っています。

開校140周年(歴史紹介3)

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「学校の歴史」大正まで
明治22年 明治21年の町村制の公布を受け、大規模な村の合併が行われる。
これにより、田籾村、上伊保村、伊保堂村、殿貝津村、
下伊保村が合併し、伊保村となる。

明治36年 現在の場所に新校舎を建てて移転し、記念にせんだんの木を植える。

明治39年 伊保村、橋見村が合併したことにより、校名変更。
「保見第一尋常高等小学校」となる。
※ 橋見村・・・明治22年に大畑村、八草村、西広見村、篠原村が
合併してできた村。

明治40年 菅沼先生、第15代校長となる。

明治41年 小学校令が改正となり、義務教育が6年となる。
※ それまでは明治19年公布の小学校令で、義務教育は4年でした。

大正元年 学芸会が行われるようになる。

大正2年 遠足が始まる。
※ 「朝6時出発、午後9時帰着、小原方面へ」という記録が
残っています。当時は「遠足運動」と呼んでいたようです。

大正6年 高等科、修学旅行始まる。
※ 「伊勢参宮、二見、鳥羽、2泊3日」という記録が残っています。
※ 当時は義務教育6年の後、希望者は高等科2年(伊保小校内に設置)
に進学しました。高等科は今の中学校にあたりますが、
義務教育ではありませんでした。
※ 大正6年の就学率は男子97.7%、女子93.1%でした。

大正8年 校旗を制定する。就学児童100%となる。
※ この年から高等科の修学旅行が、京都・大阪・奈良方面
4泊となったようです。

大正15年 運動場を拡張し、記念に藤を植える。
※ これは国旗掲揚塔横の藤だと思われます。
藤の樹齢は90年近くになるということです。

・・・その4に続く

開校140周年(歴史紹介2)

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 5年生の廊下の西に、「学校の歴史、校舎の移り変わり」という写真のような木製の掲示板があります。この作品は、昭和48年に100周年記念事業の一つとして作られたようです。この創立時の記述内容について、「伊保小百年記念誌」と「保見町誌」を参考に、少し詳しく調べてみました。

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「学校の歴史」 開校から現校地への移転まで
明治7年 伊保学校創立、上伊保了喜院をもって教場にあてる。(学区は田籾と保見)
      殿貝津学校創立(学校は貝津神社付近、学区は東保見、貝津、伊保町)
明治10年 (西南の役)
明治20年 学区制の変更により、殿貝津学校は廃校、統合され尋常小学伊保学校となる。
     ※ この頃は保見町起間に学校があった。
明治27年 (日清戦争開戦)
明治36年 現在の場所に新校舎を建てて移転し、記念にせんだんの木を植える。
     ※ センダンの木は樹齢110年以上   ※その3に続く

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 下の了喜院本堂の写真は、「伊保小百年記念誌」から転載したものですが、創立当時はこの本堂は瓦葺きではなく草葺きだったそうです。草の屋根の下、お堂の仏様の前でみんな勉強したのですね。
 なお、この本堂は老朽化のため数年前に取り壊され、残念なことに今はもうありません。

開校140周年(歴史紹介1)

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 開校140周年を記念して、ホームページで伊保小学校の歴史を紹介していきたいと思います。
 5年生の教室の前には、写真のような屋根瓦があります。この屋根瓦は昭和41年以前に写真にあるような木造校舎だったころのものです。(木造校舎の写真は昭和28年頃のもの)
 現在、樹齢110年のセンダンの木も、中央奥右に写っています。




あいさつ運動(9/1)

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 地域や地域の子どもたちのためにいろいろなお世話をいただいている、民生委員さんと主任児童委員さんが、9月1日に校門であいさつ運動を行ってくださいました。夏休み明けで朝起きるのがつらかった子もいたようですが、多くの子は元気な声で「おはようございます」のあいさつが自分から言えていました。
 朝のお忙しい中、本校の児童のためにありがとうございました。

学校が始まりました(9/1)

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 校舎に元気な声と笑顔が戻ってきました。楽しい思い出いっぱいの夏休みが終わり、授業が始まりました。学級で夏休みの思い出を語る子どもたちの顔には、成長のあとがうかがえます。
 授業が始まり、子どもたちの中には夏休みの生活から急に学校での生活に変わったため、生活リズムを取り戻すのがつらい子もいるようです。まだまだ日中の気温が高く、体調を崩しやすくなることが心配です。9月からは、6年生の修学旅行を始め、伊保リンピック、観劇会など楽しい行事がたくさんあります。早寝早起きを心がけ、早く学校の生活に慣れ、それぞれの持ち味を発揮してくれることを願っています。
(写真は、夏休み作品展の様子です。)


ミジンコの観察

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5年生の理科の授業で、子どもたちといっしょにミジンコの観察をしました。

学校アドバイザー会議が開催されました。

 学校には,家庭・地域と連携協力しながら,地域に開かれた教育をめざす経営が求められています。学校アドバイザーもその重要な制度です。地域の方々の声を聞き,支援を仰ぎながら協力を得て,学校運営の一端を担っていただこうとする制度です。
 7月2日には,今年度の学校アドバイザーのみなさんにお集まりいただき,会議を開催しました。会議の中では,学校運営方針を説明するとともに,情報交換を行いました。貴重なご意見とともに、学校への協力のお話をいただき、大変有意義な会となりました。


センダンの花

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運動場のセンダンの花が咲きました。
樹齢、110年を超える樹です。伊勢湾台風で、大きな被害を受けたそうですが、まだまだきれいな花を咲かせています。
豊田の名木にも指定されています。

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