開校140周年(歴史紹介3)
「学校の歴史」大正まで
明治22年 明治21年の町村制の公布を受け、大規模な村の合併が行われる。 これにより、田籾村、上伊保村、伊保堂村、殿貝津村、 下伊保村が合併し、伊保村となる。 明治36年 現在の場所に新校舎を建てて移転し、記念にせんだんの木を植える。 明治39年 伊保村、橋見村が合併したことにより、校名変更。 「保見第一尋常高等小学校」となる。 ※ 橋見村・・・明治22年に大畑村、八草村、西広見村、篠原村が 合併してできた村。 明治40年 菅沼先生、第15代校長となる。 明治41年 小学校令が改正となり、義務教育が6年となる。 ※ それまでは明治19年公布の小学校令で、義務教育は4年でした。 大正元年 学芸会が行われるようになる。 大正2年 遠足が始まる。 ※ 「朝6時出発、午後9時帰着、小原方面へ」という記録が 残っています。当時は「遠足運動」と呼んでいたようです。 大正6年 高等科、修学旅行始まる。 ※ 「伊勢参宮、二見、鳥羽、2泊3日」という記録が残っています。 ※ 当時は義務教育6年の後、希望者は高等科2年(伊保小校内に設置) に進学しました。高等科は今の中学校にあたりますが、 義務教育ではありませんでした。 ※ 大正6年の就学率は男子97.7%、女子93.1%でした。 大正8年 校旗を制定する。就学児童100%となる。 ※ この年から高等科の修学旅行が、京都・大阪・奈良方面 4泊となったようです。 大正15年 運動場を拡張し、記念に藤を植える。 ※ これは国旗掲揚塔横の藤だと思われます。 藤の樹齢は90年近くになるということです。 ・・・その4に続く 開校140周年(歴史紹介2)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「学校の歴史」 開校から現校地への移転まで 明治7年 伊保学校創立、上伊保了喜院をもって教場にあてる。(学区は田籾と保見) 殿貝津学校創立(学校は貝津神社付近、学区は東保見、貝津、伊保町) 明治10年 (西南の役) 明治20年 学区制の変更により、殿貝津学校は廃校、統合され尋常小学伊保学校となる。 ※ この頃は保見町起間に学校があった。 明治27年 (日清戦争開戦) 明治36年 現在の場所に新校舎を建てて移転し、記念にせんだんの木を植える。 ※ センダンの木は樹齢110年以上 ※その3に続く ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 下の了喜院本堂の写真は、「伊保小百年記念誌」から転載したものですが、創立当時はこの本堂は瓦葺きではなく草葺きだったそうです。草の屋根の下、お堂の仏様の前でみんな勉強したのですね。 なお、この本堂は老朽化のため数年前に取り壊され、残念なことに今はもうありません。 開校140周年(歴史紹介1)
開校140周年を記念して、ホームページで伊保小学校の歴史を紹介していきたいと思います。
5年生の教室の前には、写真のような屋根瓦があります。この屋根瓦は昭和41年以前に写真にあるような木造校舎だったころのものです。(木造校舎の写真は昭和28年頃のもの) 現在、樹齢110年のセンダンの木も、中央奥右に写っています。 あいさつ運動(9/1)
地域や地域の子どもたちのためにいろいろなお世話をいただいている、民生委員さんと主任児童委員さんが、9月1日に校門であいさつ運動を行ってくださいました。夏休み明けで朝起きるのがつらかった子もいたようですが、多くの子は元気な声で「おはようございます」のあいさつが自分から言えていました。
朝のお忙しい中、本校の児童のためにありがとうございました。 学校が始まりました(9/1)
校舎に元気な声と笑顔が戻ってきました。楽しい思い出いっぱいの夏休みが終わり、授業が始まりました。学級で夏休みの思い出を語る子どもたちの顔には、成長のあとがうかがえます。
授業が始まり、子どもたちの中には夏休みの生活から急に学校での生活に変わったため、生活リズムを取り戻すのがつらい子もいるようです。まだまだ日中の気温が高く、体調を崩しやすくなることが心配です。9月からは、6年生の修学旅行を始め、伊保リンピック、観劇会など楽しい行事がたくさんあります。早寝早起きを心がけ、早く学校の生活に慣れ、それぞれの持ち味を発揮してくれることを願っています。 (写真は、夏休み作品展の様子です。) |